
その1 「浦島太郎とワイン・バー」ある土曜日の午後、ワイン好きの青年が湘南のワイン・ショップでボルドーを買い、帰るときのことでした。 近道をして鎌倉の七里ガ浜を歩いていると、土地の子供達が5、6人固まって大騒ぎをしています。何事だろうと近づくと、大きな海ガメが引っくり返されて、手足をバタバタさせていました。子供達は、そんなカメを面白がって甲羅に乗り、シーソーのように揺すって遊んでいるのでした。海ガメはされるがままで、目から涙を流しています。可哀相になった青年は、子供達に言いました。 「君達、動物をイジメるのはよくないなぁ」 そう言いながら青年はポケットを探りましたが、あいにく、現金は120円、江ノ電(*1)の回数券が3枚、それと、クレジット・カードしかありません。青年はしかたなく紙袋を開けました。 「ここにワインが3本ある。この中の好きなもの1本とそのカメを交換しよう」
青年は、買ったばかりのボルドーを出しました。オー・マルビュゼ(*2)1999年、ダルマイヤック1997年(*3)、ラ・ドミニク(*4)1996年の3本です。リーダー格の子供が感心したように言いました。 「へぇー、オジサン、結構いいセンスしてんじゃん。プロが8千円以下で買うボルドーがこれだよね。普通、オジサンくらいの歳だと、ある程度お金が自由になるんで、ラトゥール(*5)とかマルゴー(*6)みたいな超有名ワインに走るんだけどなぁ」 子供のくせに、何でそんなにワインのことを知っているのか不思議ですが、これが「日本ワイン昔話」の強引なところです。そんなことは気にしないで先に進みましょう。
「じゃぁ、どれにしようかなぁ、どれもウマそうだ、んーと…、ラ・ドミニクをもらっていくよ。ありがとう。そしたら、このカメ、オジサンにやるよ。でも、どうなっても知らないからね。バイバーイ」 そう言うと、リーダー格の子供はラ・ドミニクを鷲づかみにして、みんなと一緒に走り去りました。後に残ったのは甲羅を引っくり返されたカメでした。青年はカメを引き起こしながら、優しい声で言いました。 「さあ、海へお帰り。もう、浜に近づいちゃぁダメだよ」 時間と金の全部をワインに注ぎ込んでいた青年は、当然、ガールフレンドがいる訳もなく、土曜日の午後なのに何の予定もありません(*7)。誘われるままに、海ガメの背中に乗りました。
カメは、ゆっくりと相模湾に入り、烏帽子岩(*8)の方向に潜り始めました。深く潜行するにつれて、海草の生え方がまばらになり、太陽の光を受けて青く輝いていた海面も急速に暗くなっていきます。ヘンなところへ来てしまったと青年が不安が大きく膨らんだときでした。岩陰を抜けたところが平らになっていて、ナイターの野球場のように光っています。光の束の中心に小さなお城があり、「ワイン・バー竜宮城」のネオンサインがラスベガスの大通りのようにデンデンパチパチと点滅していました。入り口には、映画『ニキータ(*9)』の女暗殺者みたいなイイオンナが立っています。ショート・ヘアに黒いニットのワンピース。ちょっと生意気そうなところが堪りません。オンナは、深々とお辞儀をすると、10万ドルの笑顔を作って青年に言いました。 「うちのカメが大変お世話になったそうで、本当にありがとうございました。心ばかりのお礼を差し上げたいと思います。どうぞ中へお入り下さいませ」
オンナは色っぽい微笑を浮かべると、ヘパリーゼ(*10)のキャップをピキッと捩じ切って青年に渡しました。やけに気がきいているじゃないか。青年は嬉しくなって、一気にヘパリーゼを飲み干しました。
最初にサービングされたのは、サロン(*11)でした。先ほどのオンナは、横座りになると青年にしなだれかかり、色っぽい声で言いました。 青年は、初めてのサロンだったのですが、興奮しているせいか、一息で飲み干してしまいました(*12)。さあ、どんちゃんパーティーの始まりです。 目の前で、鯛や平目が舞い踊っているのですが、水族館じゃあるまいし魚のダンスなぞ、別に面白くもありません。でも、シャンパンとワインは最高です。それにオンナも。オンナも青年の横に控え、熟練したソムリエールのように、絶妙のタイミングでワインを注いでくれます。青年は「彼女いない歴30年」の鬱憤をワインで晴らすように、際限なく飲み続けました。 それ以降の青年の記憶はありません。飲み潰れて、ソファで眠ってしまったようです。 青年はご馳走の礼を言い、帰る旨を伝えました。オンナは残念そうな表情をして、それでも笑顔を浮かべながら言いました。 青年がカメの背中に乗り、出発しようとしたときでした。オンナが青年に小さな箱を渡しました。 カメが海に帰るのを見送った青年は、手に持った玉手箱を見て考えました。「オリジナルの『浦島太郎』では、竜宮城でドンチャン騒ぎをしているうちに、数十年経ったことになっている。箱を開けると、実際の時間と同期を取るため、煙が出て一挙に何十年も年を取って白髪のオジイサンになるんだ。でも、今時計を見ても1日しか経ってないし、まわりの様子も昨日のままだ。第一、オリジナルの乙姫様の言葉は矛盾している。『決して開けてはなりません』のなら、初めから渡さなきゃイイのだ」。 青年の決心は固まりました。箱の紐を解き、フタを開けました。予想通り、煙は出てきません。中に、小さな紙切れが1枚入っているだけでした。紙切れを摘み上げて読んだ瞬間、青年は「ウゲゲゲェー」と大きな声を上げました。青年の目玉は飛び出しています。 髪の毛がみるみる白くなっていきました。何と、その紙切れは「ワイン・バー竜宮城」の請求書だったのです。場末の怪しい飲み屋の請求書のように、小さな紙に巨大な金額が書いてありました。青年は、あまりの額に驚愕、顎もガクガク。ガックりうな垂れて、すっかり、オジイサンになってしまったのです。 請求書を持ってワナワナ震えていると、昨日の子供達が通りかかりました。 それ以来、青年はカメを見ると、狂ったように襲いかかるようになったということです。 了 |
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今回の特別な1本
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| 作者脚注 | ||||||||||||||
* 1:大船と鎌倉を結ぶオモチャみたいな路面電車。民家の軒先をかすめて走る。あちこちの電鉄会社から中古電車をもらって使う。レトロな雰囲気が受け、熱烈ファン多し。 *
2:土の香りがするサンテステフ村で作るコスト・パフォーマンス最高の赤。 *
3:ボルドーの超銘醸地、ポーイヤック村の5級格付け。昔はランシュ・バージュが「お買い得」だったが、スーパー・セカンド扱いを受けて価格が上昇。今はこれとグラン・ピュイ・ラコストが頑張っている。
* 4:ソムリエ御用達が、このサンテミリオン。ブルゴーニュと間違えるほどイイオンナ。(特別な1本の項参照)
* 7:ボーイフレンドやガールフレンドを見つけてからワインにハマるのが理想だけど、ワインに入れ込みすぎて、ワインと結婚した人は後を断たない。 |
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作者 葉山 考太郎(はやま こうたろう)
湘南地区在住といわれる謎のワインライター。 |