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その1 「浦島太郎とワイン・バー」

 ある土曜日の午後、ワイン好きの青年が湘南のワイン・ショップでボルドーを買い、帰るときのことでした。

 近道をして鎌倉の七里ガ浜を歩いていると、土地の子供達が5、6人固まって大騒ぎをしています。何事だろうと近づくと、大きな海ガメが引っくり返されて、手足をバタバタさせていました。子供達は、そんなカメを面白がって甲羅に乗り、シーソーのように揺すって遊んでいるのでした。海ガメはされるがままで、目から涙を流しています。可哀相になった青年は、子供達に言いました。

「君達、動物をイジメるのはよくないなぁ」
「俺達が見つけたカメなんだから、どうしようと勝手だろ。第一、こいつは悪いカメなんだよ」
「このカメがどんな悪いことをしたんだい?」
「こいつは悪くないんだけど、こいつの飼い主が悪い奴なんだ」
「じゃあ、このカメは悪くはないんだろ? そしたら、離してやんなよ」
「やだね。もう、あっちへ行ってよ、オジサン」
「オジサン? 僕はまだ32なんだよ。まあ、君達から見りゃあ、オジサンには違いないけどね。只でカメを逃がせとは言わないよ」

 そう言いながら青年はポケットを探りましたが、あいにく、現金は120円、江ノ電(*1)の回数券が3枚、それと、クレジット・カードしかありません。青年はしかたなく紙袋を開けました。

「ここにワインが3本ある。この中の好きなもの1本とそのカメを交換しよう」

オー・
マルビュゼ
ダルマイヤック ラ・ドミニク

 青年は、買ったばかりのボルドーを出しました。オー・マルビュゼ(*2)1999年、ダルマイヤック1997年(*3)、ラ・ドミニク(*4)1996年の3本です。リーダー格の子供が感心したように言いました。

「へぇー、オジサン、結構いいセンスしてんじゃん。プロが8千円以下で買うボルドーがこれだよね。普通、オジサンくらいの歳だと、ある程度お金が自由になるんで、ラトゥール(*5)とかマルゴー(*6)みたいな超有名ワインに走るんだけどなぁ」

 子供のくせに、何でそんなにワインのことを知っているのか不思議ですが、これが「日本ワイン昔話」の強引なところです。そんなことは気にしないで先に進みましょう。

ラトゥール マルゴー

「じゃぁ、どれにしようかなぁ、どれもウマそうだ、んーと…、ラ・ドミニクをもらっていくよ。ありがとう。そしたら、このカメ、オジサンにやるよ。でも、どうなっても知らないからね。バイバーイ」

 そう言うと、リーダー格の子供はラ・ドミニクを鷲づかみにして、みんなと一緒に走り去りました。後に残ったのは甲羅を引っくり返されたカメでした。青年はカメを引き起こしながら、優しい声で言いました。

「さあ、海へお帰り。もう、浜に近づいちゃぁダメだよ」
 それを聞いたカメはポロポロと涙を流して言いました。
「お助けいただいて、本当にありがとうございます。しかも、大事なラ・ドミニクを犠牲にしてまで…。このままでは私の気がすみません。何かお礼をさせて下さい。お急ぎでないのでしたら、私の背中にお乗り下さいませ。素晴らしいところへご案内いたします」

 時間と金の全部をワインに注ぎ込んでいた青年は、当然、ガールフレンドがいる訳もなく、土曜日の午後なのに何の予定もありません(*7)。誘われるままに、海ガメの背中に乗りました。

 カメは、ゆっくりと相模湾に入り、烏帽子岩(*8)の方向に潜り始めました。深く潜行するにつれて、海草の生え方がまばらになり、太陽の光を受けて青く輝いていた海面も急速に暗くなっていきます。ヘンなところへ来てしまったと青年が不安が大きく膨らんだときでした。岩陰を抜けたところが平らになっていて、ナイターの野球場のように光っています。光の束の中心に小さなお城があり、「ワイン・バー竜宮城」のネオンサインがラスベガスの大通りのようにデンデンパチパチと点滅していました。入り口には、映画『ニキータ(*9)』の女暗殺者みたいなイイオンナが立っています。ショート・ヘアに黒いニットのワンピース。ちょっと生意気そうなところが堪りません。オンナは、深々とお辞儀をすると、10万ドルの笑顔を作って青年に言いました。

「うちのカメが大変お世話になったそうで、本当にありがとうございました。心ばかりのお礼を差し上げたいと思います。どうぞ中へお入り下さいませ」
 奥へ通された青年は、体がめり込むほどの柔らかいソファに座りました。
「これから、たくさん飲むのですから、まずはこれをどうぞ、ウフフフ」

 オンナは色っぽい微笑を浮かべると、ヘパリーゼ(*10)のキャップをピキッと捩じ切って青年に渡しました。やけに気がきいているじゃないか。青年は嬉しくなって、一気にヘパリーゼを飲み干しました。

サロン Aルソー・
シャンベルタン

 最初にサービングされたのは、サロン(*11)でした。先ほどのオンナは、横座りになると青年にしなだれかかり、色っぽい声で言いました。
「では、これからの素晴らしい時間のために、乾杯。ウフフフ」

 青年は、初めてのサロンだったのですが、興奮しているせいか、一息で飲み干してしまいました(*12)。さあ、どんちゃんパーティーの始まりです。
 まず、ドンペリのロゼ(*13)が出てきました。次は、アルマン・ルソーのシャンベルタン(*14)です。青年は我を忘れてひたすら飲みました。テーブルには、キャビア、フォアグラ、大トロなど、体に悪そうなものがゾロッと並んでいます。片っ端から箸を付けていきました。

 目の前で、鯛や平目が舞い踊っているのですが、水族館じゃあるまいし魚のダンスなぞ、別に面白くもありません。でも、シャンパンとワインは最高です。それにオンナも。オンナも青年の横に控え、熟練したソムリエールのように、絶妙のタイミングでワインを注いでくれます。青年は「彼女いない歴30年」の鬱憤をワインで晴らすように、際限なく飲み続けました。

 それ以降の青年の記憶はありません。飲み潰れて、ソファで眠ってしまったようです。
もちろん、オンナの膝枕です。青年は、喉の乾きで目が覚めました。オンナから手渡されたコップの水を飲みながら、時計を見ると、日曜の朝10時です。
「もうこんな時間だ。早く家に帰って、NHKの将棋講座(*15)を見なくちゃ。今日は羽生と谷川戦(*16)だからなぁ」

 青年はご馳走の礼を言い、帰る旨を伝えました。オンナは残念そうな表情をして、それでも笑顔を浮かべながら言いました。
「本当にありがとうございました。またお越し下さいね。ウフフフ」

 青年がカメの背中に乗り、出発しようとしたときでした。オンナが青年に小さな箱を渡しました。
「これ、玉手箱のようなもんです。お開けになってもいいんですけど、お帰りになってからにして下さいね。ウフフ」
 玉手箱を受け取った青年は、カメの背に乗り、鎌倉の砂浜に帰りつきました。

 カメが海に帰るのを見送った青年は、手に持った玉手箱を見て考えました。「オリジナルの『浦島太郎』では、竜宮城でドンチャン騒ぎをしているうちに、数十年経ったことになっている。箱を開けると、実際の時間と同期を取るため、煙が出て一挙に何十年も年を取って白髪のオジイサンになるんだ。でも、今時計を見ても1日しか経ってないし、まわりの様子も昨日のままだ。第一、オリジナルの乙姫様の言葉は矛盾している。『決して開けてはなりません』のなら、初めから渡さなきゃイイのだ」。

 青年の決心は固まりました。箱の紐を解き、フタを開けました。予想通り、煙は出てきません。中に、小さな紙切れが1枚入っているだけでした。紙切れを摘み上げて読んだ瞬間、青年は「ウゲゲゲェー」と大きな声を上げました。青年の目玉は飛び出しています。

髪の毛がみるみる白くなっていきました。何と、その紙切れは「ワイン・バー竜宮城」の請求書だったのです。場末の怪しい飲み屋の請求書のように、小さな紙に巨大な金額が書いてありました。青年は、あまりの額に驚愕、顎もガクガク。ガックりうな垂れて、すっかり、オジイサンになってしまったのです。

 請求書を持ってワナワナ震えていると、昨日の子供達が通りかかりました。
「あれっ、昨日のオジサンじゃん。今日はオジイサンになってしまって。やっぱり、ぼったくりバーにやられたんだね。だから、昨日、あのカメの飼い主は悪い奴だって言ったでしょ」

 それ以来、青年はカメを見ると、狂ったように襲いかかるようになったということです。
めでたくない、めでたくない。

了   

今回の特別な1本
シャトー ラ・ドミニク 

ボルドー地方サンテミリオン地区グランクリュクラッセ

(* 4:ソムリエ御用達が、このサンテミリオン。ブルゴーニュと間違えるほどイイオンナ。)

主人公の青年が亀を助けるために、亀をいじめていたリーダー格の子供にあげたワインです。

メルロー主体の柔らかでリッチな果実味に満ちた味わいが特徴。サンテミリオンで1番有名で高価なシュヴァルブランに隣接し、評価もとても高いにもかかわらず、価格的に手頃で通の間で密かなブームとなっているワイン。

メルロー85% カベルネ・フラン15% カベルネ・ソーヴィニヨン5%

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作者脚注
* 1:大船と鎌倉を結ぶオモチャみたいな路面電車。民家の軒先をかすめて走る。あちこちの電鉄会社から中古電車をもらって使う。レトロな雰囲気が受け、熱烈ファン多し。
* 2:土の香りがするサンテステフ村で作るコスト・パフォーマンス最高の赤。
* 3:ボルドーの超銘醸地、ポーイヤック村の5級格付け。昔はランシュ・バージュが「お買い得」だったが、スーパー・セカンド扱いを受けて価格が上昇。今はこれとグラン・ピュイ・ラコストが頑張っている。

* 4:ソムリエ御用達が、このサンテミリオン。ブルゴーニュと間違えるほどイイオンナ。(特別な1本の項参照)
* 5:ボルドーが誇る1級格付けワイン。固くて渋いので孫の代まで熟成させねばならない。
* 6:『失楽園』で有名になった赤。ボルドーの女王様とはいえ、渋くてボディーが大きい。

* 7:ボーイフレンドやガールフレンドを見つけてからワインにハマるのが理想だけど、ワインに入れ込みすぎて、ワインと結婚した人は後を断たない。
* 8:サーファーのメッカ、茅ヶ崎の海岸から200メートル沖にある鮫の歯状の岩。サザン・オールスターズの歌にも出てくる。
* 9:新鋭の超大型新人、リュック・ベッソン監督の出世作。シャンパンとオンナがカッコ
  良くでてくる。最後に、人生の重さ、複雑さを感じさせるのはいかにもフランス映画。
*10:ワイン通愛用の肝臓強化ドリンク。プロは2本の価格で3本入ったお徳用を買う。
*11:ブラン・ド・ブランのビンテージ物しか作らない超マニアックなシャンパン。生産量が微少であることも手伝って、1度飲んだら3年は威張れる。
*12:くれぐれも、こんな罰当たりな飲み方をしてはならない
*13:バブルのシンボル。絶頂期には1本4万円もした。ヒェェェー。
*14:シャンベルタン最高の生産者。チョコレート・ムースに歯を立てるような官能がある。
*15:世のお父さん連中が大好きな日曜のNHK番組。これを見るチャンネル権があるかど
  うかで、お父さんがどの程度、家庭で大切にされているかがわかる。
*16:将棋最高の対戦。ラフィットとラ・ターシュはどちらがウマいか対決するようなもの。

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作者 葉山 考太郎(はやま こうたろう)

湘南地区在住といわれる謎のワインライター。
コスプレとタダ酒を異常に好み、タダ酒の飲める場所に突然出没できる恐るべき
臭覚を持つ、といわれている。
BRUTUS、ヴィノテーク等執筆多数。
主な著書に「ワイン道」、「辛口/軽口 ワイン辞典」、「シャンパンの教え」
(全て日経BP社)