ワインは語りかける

第3回 ロワールで自然派ワインをつくる
鋼鉄の意志を持つ日本女性 新井順子  

 Junko ARAI

 

 

ジャンヌ・ダルクが後のシャルル7世と出会い、戦いを始めた地ロワールで、一人の日本人女性が2002年から、困難な有機栽培のワインづくりという戦いに挑んでいます。

彼女の名前は、新井順子。実は彼女はワイン業界だけではなく、すでに多くのマスコミでもその活躍が報じられているために、僕よりもご存じの方も多いことと思いますが、フランスで活躍する日本人醸造家を論じる時、やはり新井順子さんを紹介しないわけにいきません。

 

彼女はまさにジャンヌ・ダルクのように一度行動を決めると、何か障害や犠牲があっても成し遂げようとする鋼鉄のような意志の力と実行力を持って前に進み続けます。そして強く自己主張をします。その妥協しない行動力と判断力が彼女の魅力であり多くのひとを惹きつけると同時に、その激しさは、時に多くの軋轢を生むこともあるのです。

 

一切の妥協をせずしっかりとした品質を極めていく厳しい姿勢は、彼女のワインを味わうと瑞々しい果実感の中に、その本質が響いてくるように感じられます。その彼女の大きな資質の基礎となっているのは、類い希なテイスティング鑑識力によるもの。本来持っている能力を1996年ボルドー大学醸造学科への留学でさらにしっかりとしたものへと研鑽しました。

 

 フランス留学後帰国した彼女は、ワイン専門家の道を歩み続けます。1998年から自由が丘でのフランス料理店経営、ワイン教室主宰、そしてワイン輸入業の運営に携わっていきました。女性ならずとも、個人でこの3つの仕事をこなしていくことだけでも、常人では不可能な実行力を持っていることがわかります。そして、輸入業者として生産者と出会う中で、フランス中の優れたワイナリーを知ることになり、ワインを直接つくることへの欲望が高くなるのです。そんな折、2001年8月に突然ロワールで長く有機自然栽培を行ってきた畑を購入する話が舞い込んできたのです。決断力の早い彼女は輸入会社のみを残し、3年続いて軌道に乗ったレストランとワイン教室を閉め、11月にはフランスに会社を設立、翌年1月には完全に移住し、ブドウ栽培を始めてしまいます。

 

 ロワールでの生活を始めた後の彼女の試練は、より一層壮絶なものとなりました。「自由の国フランス」といわれてはいますが、都会の生活とは全く違い、田舎での農家生活は日本よりも更に保守的な側面が多くあります。また、日本以上に官僚社会のフランスでは、なにかひとつ動く毎に書類による申請と許可が必要で、事業を軌道に乗せるまでは大変な苦労を要します。ロワール地方特有の自然環境の厳しさもまた、栽培家としての生活を始めたばかりの新井さんには、困難の連続でした。温暖な地中海地方やボルドー地方と違い、冷涼なロワールは特に天候が不順な場所で、しかも数万円で評価されるような高級銘醸地ではなく、大消費地パリの近くで、安く大量に消費される水代わりのワインを供給する、というのが一般的な役割となっている場所なのです。

 

 大量消費用のぶどうは、大規模生産者が零細農家からキロあたりいくら、という形で安く買いたたかれているために、一般農家は化学肥料を大量に使って、生産性を上げることで収入を増やそうとします。(この状況は、日本の現状にも当てはまります)そのために、一般農家のつくるぶどうは個性が薄められ、更に大量に混ぜられることによって、水のような、水よりも安いワインが生まれることとなるのです。しかもこれらのワインは需要が減って希望のない競争が激しくなっています。

高級ワインを造る時、もっとも基本的なことは、何よりも一本の樹に実る房の数を減らして収量を落とすこと。そのことによって果実の凝縮度を高めます。生産性とは全く逆の作業となるのです。

 

ロワール地方の、この水のような安ワイン生産の状況から脱却するために、一部の先進的な生産者が有機栽培、またさらに天体運動まで考慮する「ビオディナミ」という栽培醸造法をフランスで先駆けて取り入れ、現在注目されています。基礎的な単価が安いロワールでは、この農法を取り入れても、銘醸地ブルゴーニュやボルドーの半額以下で、今までと全く違う個性のはっきりとしたワインが生まれることになります。新井順子さんもビオ・ワインに強く影響された人で、だからこそこの地での有機栽培によるワイン造りを始めたのです。彼女の取得した畑は、この有機栽培を数十年続けてきた、生きた土地で、しかも近所に住むこの醸造法で有名な生産者がアドバイスをしてくれます。

 

しかしそのような先進的な生産者は、本当にごく一部で、彼らは地元人であっても一般的な生産者からは異端視されているのです。たとえパリや日本の自然派愛好者から熱烈な支持をえていようとも・・・。そんな状況下で、遠いアニメの国日本から、激しい個性を放つ日本人女性が突然現れ、有機ビオディナミ農法を猪突猛進始めたのですから、まさしく彼女はジャンヌ・ダルクのように異端視され、非難を受けたことだと思います。

 

彼女はまた、ワイナリー(ドメーヌ・ボワ・ルカ=ルカの森)を始めてしばらくするとご両親を亡くす、という不幸に遭いました。ワイナリーの創世期、周囲との対立の中で、両親を亡くすことは大変に辛いことだったでしょう。実際に生産された彼女のワインには、母の名前を冠した力強い「キュヴェ・クニコ」、父に捧げられた優しい味わいの「OTOSAN(オトサン)」、またこれも2006年に若くして亡くなった妹さんの想いを込めた長命な「キュヴェ・ミド」など、家族の名前をつけて誕生しました。これらの斬新なラベルと瑞々しい果実感のあるワインは、今日の日本ブームとも重なって、パリのスノッブなビオ愛好家たちからも高い評価を得ています。

 

新井さんは現在、彼女がもっとも愛する品種であるピノ・ノワールの栽培を夢見ています。実は、昨年2007年に6,000本の苗の植樹を実行しましたが、信じられない不幸な天候不順によって、抵抗力の弱い幼い苗木はほぼ全滅してしまいました。天の神はまたも彼女に試練を与えたのです。しかし鋼鉄の意志を持つロワールの和製ジャンヌ・ダルクはくじけることなく、これからも果実と大地の力を感じさせるワインを造り続けることでしょう。

 

新井順子さんの激しい半生については、彼女自身による著書「ブドウ畑で長靴をはいて」(集英社インターナショナル刊)がありますので、ご一読下さい。

 

内池 直人