
第6回 ダンテ、マキャヴェリ、メディチ・・・中世イタリアの歴史を伝える、現代のワイン
イタリアは、中世以来の遺跡がそのまま多く残って現代の私達を楽しませてくれますが、優秀なイタリアワイン生産者の祖先にも、歴史の中心人物となった一族が多く関わっています。 メディチ家とニコロ・マキャヴェリ、そしてダンテ・アリギエーリの末裔たちは、今日も本格的なワインを造り、現代に生活する私達に中世の風味を感じさせてくれるのです。
中世からルネッサンスにかけて、最も栄えたのはイタリアのフィレンツェを中心としたトスカーナ地方で、ここから全ヨーロッパに向けて富と文化が発信されていた・・・というのは、中学・高校時代の世界史で、歴史が苦手な人でも、覚えさせられたのではないでしょうか。 フィレンツェが栄えるに従って、フィレンツェの覇者であるメディチ家の力は強大なものとなりました。メディチ家が金融業を基盤として栄えたのは、今も昔も、お金持ちを生みだす社会構造の根本が変わっていない、ということかもしれません。ともあれ、メディチ家の発展と共に、一族の庇護を受けて力をつけていくもの、そして一族の勢力争いの中に巻き込まれていく人々・・・と、ここにも、いつの世も変わらぬ権力争いが、華やかな文化と共に、繰り広げられていきました。
現在でも多くの名残があるように、当時のイタリア貴族は立派な城に住み、広大な領地を持っていましたので、ワイン造りも彼ら貴族によって、広く行われていました。ロレンツァ・デ・メディチの一族が運営するワイナリー「バディア・ア・コルティブォーノ」は、シエナからほど近い修道院の丘で、無農薬有機栽培にこだわった自社畑のサンジョヴェーゼから、大地の薫りがする優れたキャンティ・クラシコを造っていますし、トスカーナ州の隣にあるエミリア・ロマーニャ州では、メディチ・エルメテが、甘口の多い赤の発泡性ワインであるランブルスコを、敢えて辛口にこだわって深みのある味わいに仕上げています。 偉大な政治学者であり、思想家で『神曲』を書いたダンテ・アリギエーリは、フィレンツエに生まれました。当初メディチ家によって庇護されていましたが、権力闘争の中で失脚し、フィレンツェを追われてしまいます。その後は、生涯流浪の旅を続けることになりました。 地獄、煉獄、天国の姿を記した、有名な『神曲』は、フィレンツェを追われた後に、死の直前まで書き続けたダンテの代表作で、自分の嫌いな敵対者は、ローマ法王だろうと、司教だろうと、全て地獄に落とされた姿になって描く、という壮絶な怨恨物語が、700年近くたった今日世界中で翻訳され、楽しむことができます。一族は、息子ピエトロ・アリギエーリの代になってようやく1353年ヴェネト州ヴェローナ近郊に土地を購入し、安住しました。この地で今日に至るまで、子孫はワインを造り続けているのです。最近、「ヴェネト移住650年記念」という歴史的ワインを発表しています。また、この地区の特産で陰干しぶどうからつくる大変に上質で濃厚な『アマローネ』というワインは、このアリギエーリの一族がヴァイオ・アルマロンという自社畑から最初に造り始めた、という説が有力です。アリギエ−リのワインは、通常のオーク樽熟成の後、桜の木樽で仕上げ熟成されるのが特徴で、独特の芳香をもっています。
「目的のためには、手段を選ばず」で有名な政治思想家のニコロ・マキャヴェリもまた、メディチ家によって失脚と復活を繰り返した波瀾万丈の人生でした。名著『君主論(Principe)』は、彼の失脚時代にキャンティのぶどう園に囲まれたマキャベリ城で、昼間は農民とトランプなどをして、夜になると机に向かい執筆されたものだそうです。メディチ家に追放されながらも中世時代に共和国思想を抱いていた彼は、後世、その究極的思想から無慈悲と非難されることもありますが、民を導く、万能の誉れ高き英雄を待ち望んでいたのだ、ともいわれています。 マキャヴェリ城は、現在もその子孫に受け継がれています。ヴィーニャ・ディ・フォンターレ(泉の葡萄園)と名付けられた、優れた立地にある単一畑から収穫された葡萄を、リムーザン・オーク樽で熟成させて、特別なキャンティ・クラシコ・リゼルヴァを造っています。城の一角は、現在キャンティ・クラシコ協会の本部となっています。
歴史を飾った一族の子孫に受け継がれて造り続けられるワインは、中世と変わらないイタリアの大地から生まれ、伝統と新しい技術との調和によって仕上げられ、世界中の愛好者にその風味を楽しませてくれます。遠く離れた日本の食卓で、「権力と陰謀」、「愛憎と怨念」が渦巻く、オペラのように華やかな中世・ルネッサンスの物語を想いながら、彼ら子孫のワインを味わってみるのも、おしゃれで趣きのあるものではないでしょうか。 (彼らのワインを混ぜると、お互いの怒りで沸騰するかもしれませんので、ご注意を!)
内池 直人 |