ワインは語りかける

第9回 「伝統とは、成功した改革の積み重ねである」 ピエモンテのエリオ・アルターレ  

エリオ・アルターレ

エリオ・アルターレ 

 

 

フランスに滞在していた随分昔のことですが、ワインを学ぶ友人たちと一緒にピエモンテまで旅行したことがあります。フランスのシャモニーからモン・ブランの長いトンネルを越えると、その先はモンテ・ビアンコ、つまりイタリアのピエモンテ地方でした。国境付近のカフェにはいると、言葉が変わり、エスプレッソがより濃く、香りが増してしっかりとした味わいに変わったのが印象的でした。山間地にブドウ畑が連なるのは壮観で、秋になると白トリュフが食卓を豊かに薫らせる、素晴らしいところです。

 もちろんピエモンテといえば、ご存じバローロ、バルバレスコに代表されるイタリアでも最高級ワインを生産する銘醸地です。

 

1970年代頃のピエモンテは、伝統的産地として知られてはいたものの、市場での人気は凋落していました。銘醸畑であっても零細栽培家たちは、大手生産者にブドウを買いたたかれ、ひとまとめに混ぜて造られていました。良質なワインを作る知識が不足していたためと、少ない畑から売上を増やすために、零細栽培家たちは、一本のブドウから過大な収量を上げてしまっていました。また、特にバローロに関しては、長期熟成の名の下に過度の抽出をして、固い味わいのワインとなっていました。

 この当時、ほとんどの地元の人たちは「自分たちは、昔からの生産方法を、親から伝えられた方法を守って続けている。ワインが売れないのは、消費者が悪い。」と信じていました。イタリア・ワイン不遇の時代です。

 

そんな中で代々ブドウを育て、ワインを造ってきた生産家の家庭に生まれた、若きエリオ・アルターレが疑問を持ちました。「なぜ隣国のブルゴーニュは、世界的に認められているのに、バローロは売れないのだろう?僕たちの認識が間違っているのではないか?」1976年、エリオはブルゴーニュへと向かいました。そこでは、今まで伝統的にピエモンテで当たり前とされていた常識を覆す様々なことが行われていました。収穫量の制限、畑ごとの法的格付け、小規模畑所有者たちによる直接瓶詰め販売、オーク新樽による熟成・・・・、若いエリオにとっては、新しい発見の毎日でした。

 

ピエモンテに帰ったエリオは、今までの因習を破るような改革を次々と実行に移しました。

「偉大なブドウの収穫、適度な果皮の抽出、そして衛生管理」を理想的に行うために、抜本的に栽培・生産方法を改革したのです。偉大なブドウの収穫のためには、畑毎の特性を生かすために、小さな区画に分け、適切な品種を植えることにしました。そして、その区画毎に収穫と醸造を行うようにしました。

 

・・・ここまではおそらく、周囲も大きな抵抗や反対はなかったと思います。

 さらにエリオは、偉大なブドウの収穫のために、「摘房」という作業を行いました。6月頃に途中まで育った房を間引きして切り落としてしまい、最終的に成熟する房を減らす作業です。これは、少ない果実に栄養を集中させ、糖度やエキス分のしっかりとした果実を作るために、今や高級ワインをつくる手法としては一般的なことですが、収穫量が収入に直結したピエモンテの零細栽培家の間では全く行われておらず、「狂気の沙汰」と思われたそうです。また、キリスト教の信仰が厚いイタリアのこと、「ブドウは天からの恵み」であり、そのブドウ房を収穫前に切り落とす、という作業は、「神の怒りに触れる・・・」といって非難する人もいました。(そういうことによって自分たちの行為を正当化しているだけ、とも見受けられますが・・・)

 そして最もセンセーショナルな改革は、フランス製オーク新樽の導入でした。イタリアでは、伝統的に3000L〜5000Lといった大樽を使い、バローロでは5年以上の熟成をさせます。伝統的な造りでは、抽出が過度になりガチガチの渋みを伴う味わいがあります。この渋みが円やかになるのに、リリースされてから更に10年以上待たなければなりませんでした。エリオが最も強く感じたのは、「市場に出た時に円やかで飲みやすく、更に長期保存が可能なブルゴーニュやボルドーのスタイルをバローロで実現すること」でした。そのために内側の焦げたフレンチ・オークの小さな新樽225Lでオーク樽のもつ、柔らかな甘い苦味と心地よい香味を18ヵ月ほどの樽熟成期間でワインが樽と接触することにより醸成し、円やかで充実した味わいのワインに仕上げたのです。

 

このフランス製新樽の導入をめぐり、反対した伝統主義者の父親とは、激しい確執が起こりました。ある日、怒りの頂点に達したエリオは、父親が使い続けた伝統的な大樽をチェーンソーで斬りつけ、使い物にならなくしてしまいました・・・。

 

 そんなことで、地元同業者はもとより父親からも見放されたエリオでしたが、彼の造り上げたワインは、見事なものでした。円やかな口当たりの中に、背骨のしっかりとしたストラクチャをもち、とても上品な樽香と果実香がバランス良く感じられたのです。豊かな味わいは、今までの常識では信じられないことに、リリース直後のものから飲み手を魅了しました。

 

この素晴らしいワインは、すぐに市場に受け入れられ、世界的にもバローロを再認識するきっかけとなりました。また、エリオのワインを知ったバローロの若手生産者たちは、エリオの下に集まり新しいバローロを創るべく指導を仰ぐことになりました。エリオは地元の若手生産者を快く受け入れ、とても熱心な勉強会を開いて様々な試行錯誤を繰り返すことによって、品質の向上研鑽を続けました。「ゲームのようにブラインド・テイスティングし、議論を重ねた」そうです。

 

やがて彼らは、「バローロ・ボーイズ」と呼ばれるようになり、フレンチオーク樽熟成を始めとした新しい味わいは、エリオだけではなくバローロ全体の新しい潮流となったのです。余談ですが、エリオたちも、この「バローロ・ボ−イズ」という名前を大変に気に入って、お揃いのTシャツを作ったり、仲間同士で「バローロ・ボ−イズ」というサッカーチームをつくったりしたそうです。

 

実は、このエリオたちの動きは伝統を守る生産者の間にも良い影響を与えました。伝統的な大樽を使いながらも、収量をきっちりと調整した健康的なブドウから、抽出のコントロールを的確に行ったり、衛生管理を向上させたりして、優れた伝統的な味わいをもつバローロがつくられるようになったのです。

 

 このエリオたちのグループの様々な努力の結果、90年代を迎える頃からピエモンテ・ワイン全体の品質は、大変高いものになりました。95年以降はピエモンテ黄金期といっても過言ではないと思います。

 

 エリオ・アルターレのテイスティング・ルームの壁には、「伝統とは、成功した改革の積み重ねである」と記されています。円熟期を迎えた彼の境地でしょう。彼のワインが生みだすしっかりとした上品な味わいは、世界中が虚をつかむようなマネーゲームに明け暮れた後の現在、真実を求め続けたこの言葉とともに、包みこむような感動を与えてくれます。

 

 

                                         内池 直人