
第20回 『最後の授業』の舞台となったアルザスワインの方向性孤高の闘士、ジャン・ミッシェル・ダイス
最近の教科書には採用されていないようですが、1970年代に小・中学校を過ごした僕の世代では、アルザス地方というと国語の授業で登場したアルフォンス・ドーデの短編小説『最後の授業』の記憶が甦ります。1871年に普仏戦争でフランスがプロイセン(ドイツ)に敗れて、アルザスがプロイセン領になるために、小学校で翌日以降フランス語の授業が禁止される最後の日の授業を描いた物語です。隣国の占領によって自分たちの言語が禁止される悲劇を描いたストーリーは、朝鮮併合も知らなかった当時の僕にとって鮮烈な思い出として残りました。最近になり実はアルザス語という民族語があって、フランス語も共通語ではあるものの、本来の自分たちの言葉ではない、二大国に翻弄されたアルザス民族の更に複雑な事情が絡んだ歴史を知るに至り、民族問題の複雑さを実感しています。
アルザスのワイン産地を訪れると、近隣のシャンパーニュやブルゴーニュの白い壁主体の典型的なフランス風建築と違った黄色や紫、ピンクなどに塗られ、木枠で組まれた壁と鋭角的な屋根を持つ家が並ぶ村の風景や、村の名前(TruckheimやBergheimなど)、住民たちの多くは背が高く、”Ha,Ha,Ha!!”と大きな声で笑う姿に、ドイツに通じる民族性を深く感じます。しかし、アルザスの人と話をすると「私達は紛れもないフランス人だ」とほとんどの人がはっきりと答えます(少なくとも僕が接した人たちでは)。今となっては過去のことですが、ドイツ人に苦労させられた歴史が、その意識を強くしているように思えます。
さてアルザスのワイン、といえば10年ほど前までは完全にドイツワインの陰に隠れた存在となっていました。ドイツワインと共通する細めのボトル形状、リースリング、ゲヴェルツトラミネールなど、品種名の書かれたワインの存在意義は、少なくとも日本市場においてはほとんど認識のないものでした。 ところが今やアルザスワインの人気は、ドイツワインを完全に逆転しています。それはドイツワインが一部高級銘柄を除いて、低価格化・工業的大量生産化を進めたことと辛口指向が高まる中で迷走し、逆にアルザスの一部から志の高い生産家が登場して進めた改革の結果です。アルザスの改革者たちは品質のために1ヘクタール(100メートル四方)あたりの収穫量を30〜40ヘクトリットルと通常の日常ワインの半分程度まで落とすことによって果汁の凝縮度を高め、有機栽培によって必要な養分を地中深くに求めさせることによって、豊かな地質の作用を果実に表現させるような造りを目指しました。元来ブルゴーニュ以上に地質が多彩といわれるアルザスから生まれるワインは、この方法によって見事に甦りました。 手間のかかる畑仕事と収穫量の減少によって、当初は彼らアルザス有志たちの収入も一時的には減ったはずですが、彼らのワインはフランスでもミシュランの星が集中するアルザス地方の高級レストランや海外の専門家、愛好家たちから熱烈な支持を得ることによって、市場を広げることが出来ました。
偏屈ながら不屈の意識を持って素晴らしいアルザスワインを造り上げた第一人者に、マルセル・ダイスの当主、ジャン・ミッシェル・ダイスがいます。彼は、『中世ブルゴーニュからやってきたシトー派の聖職者たちが開墾した手法に回帰せよ』と主張しています。「中世の聖職者たちは、地質を彼らなりに分析して、その地に合う様々な品種を混植、混譲してワインを造っていた。当然化学肥料など無い時代で、ブドウは地中の水や養分、ミネラルを求めて深くしっかりと根を伸ばし、そこから生まれるワインからは、複雑で力強い味わいを生んでいたはず。この方法がアルザスにふさわしい伝統的手法だ。単一品種のワインもそれ自体は悪くないけれど、隣のドイツの手法で、戦争の時代、アルザスよりも豊かなドイツ市場に向けて始められたものなんだ。残念なことに、地元生産者たちは、戦前のことを忘れてしまった。」ジャン・ミッシェルは、農薬・化学肥料をやめ生産量を減らすと共に、中世からの文献を探して、その当時に植えられていた品種を同じように一つの畑に混植し始めました。 現在でも多くのアルザス小規模ブドウ栽培家たちは、設備投資がかかるために自分たちでワインは造らず、大手生産家に低価格で自分たちの栽培したブドウを品種毎に販売して生計を立てています。彼らにとってジャン・ミッシェルの始めたことは、狂気の沙汰でした。ジャン・ミッシェルもかなり頑固で偏屈なところがあったために、地元生産者たちとかなり確執があったようです。大手有力生産家たちにとっても、ジャン・ミッシェルの主張は既存の権益を脅かすもので、当初は彼を変人扱いしていました。「私は誰からも理解されない・・・」とつぶやくのが彼の口癖になってしまいました。(その頃ジャン・ミッシェルが「アルザスにまともなワインは5%程度しかない」等と口悪く放言したりしていたのも、周囲の印象を悪くしていました)しかし、彼が造り出した見事なワインは、市場やワインジャーナリストたちの間で高い評価を得ることになります。
ジャン・ミッシェルは大変雄弁で、熱心です。僕のような東洋の小規模販売業者が一人で尋ねても、とても丁寧に説明してくれました。ただし通常1時間程度で終わる訪問が、3時間かかることを覚悟しなければなりません。しかしながら彼のリースリングを試飲したときの話は、とても興味深いものでした。「このリースリングに感じられる、マンゴーのようなトロピカルフルーツのニュアンスについてだけど、このブドウが栽培されているサント・イポリット村は大変に冷涼な場所で、通常このような気候からはレモンのような香りが感じられてもトロピカルな要素は出てこない。実はこの畑の土壌はジュラ紀の地層で、恐竜が住んでいたようにジュラ紀の暖かい気候の影響から生成されるミネラルがブドウに作用して、トロピカルな香りを生成する。これこそが、テロワール(風土の味わい)だ。」このような彼の中世シトー派哲学からテロワールにまで至る独自理論は(科学的な実証がされているわけではありませんが)、ワインジャーナリストたちに対して特に好評で、メディアを通じて広められることになりました。
若手の生産者も徐々に彼を見習い、また他の有名生産地の高品質ワインから、自分たちの方向性を考えるようになりました。混植はまだ主流ではありませんが、化学肥料の廃止と少量高品質化はアルザスの新しい大きなうねりとなりました。既存の有力業者たちも、次第に彼らの造るワインを認め、影響を受けるようになりました。そのようにして、アルザス全体の品質向上が世界的に認められることになったのです。
ジャン・ミッシェル・ダイスは、ついに地元業者の間でも認められるようになりました。現在アルザス・グランクリュ委員会の委員長になり、畑の格付けを制定する責任者になったのです。彼の指導の下、いくつかのグランクリュ畑では、彼が植えていながらそれまで認められていなかった様々な品種が法令で正式に認められるようになりました。またアルザスには、今日まで『グラン・クリュ(=特級)』の畑認定しかありませんでしたが、この委員会では現在『プルミエ・クリュ(=1級)』という新たな格付けの法令制定も準備を進めています。 孤高の闘士の理論に世間が追いついてきたのです。
内池 直人
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