
第24回 世襲ではないけれど、
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ルチアーノ・サンドローネ |
ピエモンテの銘醸地、バローロの巨匠ルチアーノ・サンドローネ氏が先月初めての来日をし、お会いすることができました。(高齢のため、おそらく最初で最後の来日になるだろうといわれています)彼の素朴で実直な人柄に触れ、その優しさを反映した素晴らしいワインを味わうことが出来ました。
ルチアーノ・サンドローネ氏は、『テロワール(=フランス語で「風土」とか、「土地固有の個性、味わい」)』の概念をバローロで最初に確立した、といわれる偉大な生産者です。また、ピエモンテの有名生産家のほとんどが、先祖代々ワイン醸造に関わる家柄という中で、ルチアーノは、地元ピエモンテの出身であるものの、実家は材木業を営んでいた、現代風にいえば異業種参入、というところでもユニークです。
この地で長く伝統となっていたワイン造りに興味を持った彼は、農業学校を卒業後、地元大手のバローロ生産会社にサラリーマンとして入社しました。当時は、小さなブドウ栽培農家がつくったぶどうを、大手生産者が買い取る形(ネゴシアン・ワイン)がほとんどだったため、学校を卒業して地元有力企業に就職したのです。その後20年以上の間、大手生産者の会社員として、バローロのワイン造りに携わりました。この20年間でルチアーノは、今まで地元で様々な慣習的に行われていることに、多くの疑問を感じるようになりました。彼の疑問の出発点はとてもシンプルでした。「もっと美味しいバローロが、つくれるのではないだろうか?」地元の伝統的なワイン造りとその出来上がるワインを目の前にして、そう感じたのです。
そんなあるとき、ヴァカンスを利用して世界的に評価の高いブルゴーニュのワイン造りを見学しよう、と思い立ちました。バローロの外からワイン造りを見直してみようと考えたのです。
ブルゴーニュでの数ヶ月は、ルチアーノにとって新鮮な驚きと、理解の連続でした。生来生真面目で論理的であったことから、自分自身が抱いていた多くの問題点に対する答えを、ブルゴーニュで発見することが出来たのです。
一番重要なことは、区画を小さく区切って、その地に最もふさわしい栽培をする事でした。世界で最も厳格な土地の格付けがされているブルゴーニュでは、小道一つ隔てただけで特級から一級に法律で格付けが決定され、その格付けによって価格も大きく左右されます。斜面の角度や陽当たり、若木を植えている区画や老木の区画、樹の仕立て方や密植度具合、土壌組成の違いなどに対応した様々な方法論があり、ルチアーノの疑問を解決していきました。
また、凝縮度を高めるために発育中の房を間引きしていく作業も、やみくもに収穫量を増やそうとするイタリアの栽培農家たちの常識とは大きく違っていました。(イタリアでは1キロ=**リラで取引していたために、収量を減らすことは収入を減らすことだったのです)「1本の木から出来るぶどうの数を減らすと、品質が高くなる」今では当たり前の理論です。
ヴァカンスを終えてピエモンテに帰ってきたルチアーノに、程なく地元バローロの中心部「カンヌビ」と呼ばれる丘陵地の小さな畑を購入する機会が訪れました。彼は、「仕事はそのまま続けて週末にぶどうを育ててみるのも面白そうだ。」と考え、1976年から僅か0.5haの畑で、週末家庭菜園のようなぶどう作りが始まりました。何しろ趣味の菜園ですから、今まで自分の疑問を解決させるために好きなように育てました。化学肥料を与えず、樹を短く仕立て、収穫前に何度も間引きするなどして育てられたぶどうは、皮が厚く、凝縮され糖度が高く、ルチアーノにとって満足のいくものとなりました。
ワインづくりを目的とした収穫が始まったのは2年後の1978年のこと。この年ピエモンテは幸運にも大変優れた天候に恵まれ、秀逸ビンテージとなりました。サラリーマンとして会社は辞めずに(イタリア人としては珍しく冷静沈着で、現実的)ですが、この年からワイナリーの登録をし、法律に従った『バローロ』としてワイン造りを始めました。
最低38ヵ月の熟成期間が義務づけられているバローロが瓶詰めされました。0.5haの畑から、徹底的に良い房だけを残して造られたとはいえ、出来上がったバローロのワインは、1600本余りとなりました。品質は、既に彼にとって、満足できる水準でした。「ただし、これは自分と家族だけでは飲みきれない量でした。しかも、これから毎年出来てくるし・・・。」このたくさんのボトルを前にしたときのことを、ルチアーノはにこやかに語りました。
ルチアーノは、素晴らしく仕上がった1600本のバローロの売り先を探すことになりました。しかし地元の市場は大手の生産会社が独占状態。そして、現実的に高級なバローロは地元の人たちの日常とはかけ離れた存在でした。「そこで、ワインの展示会に出してみることにしたのです。」幸運なことに、『ヴィニ・イタリー』という世界のバイヤーたちにイタリアワインを紹介するイヴェントが、この時既に毎年開催されていました。
1982年4月に開催された『ヴィニ・イタリー』で、ルチアーノは自分のつくった初めての年である1978年のバローロを出品しました。彼のバローロの試飲コーナーはたちどころに評判となり、初日だけで、全てのワインがアメリカ人とスイス人のバイヤーによって完売してしまったのです。
この成功によって、彼の醸造家としての輝かしいキャリアがスタートしました。徐々に家族も応援してスタッフに加わるようになりました。それでもサラリーマン生活に完全に終止符を打つのは1990年でした。とても義理堅いのと、慎重なのと、おそらく両方だったのだと思いますが、素晴らしいバローロをつくりながらも、しばらく二足のわらじを履いていたのです。
ルチアーノの畑に関する徹底的な管理は、現在より確固たるものとなっています。『レ・ヴィーニェ』と呼ばれる、元々4つの区画に分かれた畑のブレンドで出来るバローロは当然のこと、単一畑のバローロ『カンヌビ・ボスキス』は3つの小区画に、そして格下のネッビオーロ・ダルバは、単一畑の『ヴァルマッジオ−レ』ですが、これも標高や陽当たりなどによって6つの小区画に分けて、収穫時期を始めとした農作業を、全てその区画毎に最適な状態になったときに実施する、というきめ細かさです。収穫後も発酵が完全に終わって樽熟成がある程度安定する翌年まで、全ての区画ごとに分けて醸造しています。そして収穫の翌年樽熟成が半年を経過した時点でルチアーノが満足した水準に仕上がらないものは、大手業者に樽売りされ、残された最上のワインで最上のブレンドに仕上がったものだけが、更に長期の樽熟成を経て瓶詰めされるのです。この品質管理の厳しさは、バローロのみならず、世界最高水準でしょう。
1976年にたった0.5ヘクタールから始まったワイナリーは、現在26ヘクタールまで畑を広げ、中堅規模のワイナリーとして、世界中から敬意を受けるようになりました。何よりも、ルチアーノ・サンドローネの落ち着いた、優しい、しかしながら理論的で徹底した人柄が、ワインのキャラクターに素直に現れ、魅力が溢れています。
サンドローネのワインは、「とてもエレガントで優しい味わい」ということが言えます。一般に古いタイプのバローロといえば「男性的で固く力強い」のでリリースされてから、更に10年待たなければなりません。サンドローネのバローロは、しっかりとした骨格は確かにあるものの、透明度が高く優しいヴィロードのタッチの中に内包されているもの。もちろん熟成も楽しめますが、リリース直後から充分に楽しめるのが特徴的。このスタイルは、1980年代当時、他の一般的なバローロとは一線を画した別次元のものでありました。
ワイン醸造家の家庭に生まれなかったルチアーノは、サラリーマン生活の中でワインに対する造詣を深め、趣味的に小さく始めたワイナリーを着実に成長させて、現在の確固たる存在になりました。過去の慣習に対する軋轢やしがらみがなかったことで、良いものをつくるシンプルな発想が生まれました。
今や彼に影響を受けて、代々ワイン醸造を続けてきた、いわゆる世襲家庭の若者たちが新しいバローロづくりを始めるようになりました。
彼の始めたことは、バローロ全体から考えると、大きな改革になったのですが、好々爺の大学教授を彷彿させるルチアーノから、「改革とか過去の否定」といったネガティヴなエネルギーを感じません。ただひたすら、好きなこと、良いと思ったことを着実に実践し続けた、味わう人への優しさ、大地と自然への敬意、好きでたまらないワインへの温かい愛情が、人柄からも、味わいからも、沁みてくるように感じられるのです。