ワインは語りかける

第25回 愛憎と悲しみのブルゴーニュ

若き当主ロマンの急死とリュシー&オーギュスト・リニエの誕生

ケレンと家族

左から ケレン、オーギュスト、リュシー
 
(ブルゴーニュ地方) 

 

  

どの世界でも相続には様々な利害がからみ、親族の間で軋轢が生じます。企業規模となったボルドーでは、シャトーの株式が分割されて相続されることがあってもシャトー自体やその所有畑が分割されることはほとんど起こりませんが、家族的規模の生産家が大多数のブルゴーニュでは、個人名であるドメーヌ(ワイナリー)自体の名前が変わったり、畑が分割されたり、所有権が移ったりするたびに悲喜劇が繰り返されます。貴重で重要なグランクリュなどの畑が、相続によって、そして時として離婚によって親から兄弟姉妹、妻子へと様々な形で受け継がれ、時として分割されます。

 

最近テレビドラマのような、若き当主の急死という悲劇を発端とし、ワイン関係者を心配させた出来事が、ブルゴーニュ地方の銘醸地モレ・サンドニ村の大変に優れた生産家として有名なユベール・リニエ家に起こりました。

 

ワイン愛好家の羨望の地、重厚な味わいのジュヴレイ・シャンベルタン村と繊細なシャンボール・ミュジニー村の間に位置するモレ・サンドニ村は、真のワイン通を満足させる力強さと繊細さの調和がとれた複雑な香味を持つワインが生まれる銘醸地です。

この村で素晴らしいワインをつくるユベール・リニエは、代々栽培農家としてぶどうを育てていましたが、1970年代に自らワイン醸造瓶詰めするドメーヌ(ワイナリー)を設立しました。すると才能を発揮し、手入れの整った畑から生まれる力強く土地の個性を反映した素晴らしい味わいは、世界中の高級レストランや専門店からの購入希望が絶えず、常に割当てで入手困難な生産家となりました。1990年代この当主ユベールは60代を迎えると、当時20代の若く可愛い末息子、ロマン・リニエに家業を継承することを決意しました。

 

老父ユベールからロマンへの継承は、当初とても計画的に行われました。

1996年、家族経営の醸造農家だったリニエ家は相続のため、ワイン醸造部門を法人化し、有限会社を設立します。この時すでに社長は若干26歳のロマン・リニエ。2003年までにワイン醸造に関する全ての権利をロマンが継承しました。老後の生活のために畑の所有権の多くは父に残し、生産したワインの中で父親の畑に関わる収穫ワインから3分の1相当を地代として父母に支払う契約をしました。父ユベールは、自分が修得したワイン造りの秘訣を才能ある後継者に授けました。

 

1999年、若くして当主となったロマン・リニエは、アメリカ人の恋人ケレンと結婚します。ケレンは、彼と知り合った当時は看護学校の生徒でしたが、ワイン醸造家の妻となり、夫から栽培と醸造を学びます。そして、めでたく2000年に長女のリュシーが、そして2002年に長男のオーギュストが誕生します。

ここまでは順調で素晴らしい未来へ向けての継承が、計画的に着々と進みました。可愛い孫娘と孫息子にも恵まれた、そして有能で熱心な後継者によってリニエ家親子三代の幸せな生活が営まれました。重厚なユベール・リニエのワインは、ロマンのセンスによって、洗練度が増し、さらに人気が高まるようになりました。2003年1月、ワイン醸造会社の権利を100%取得したロマンは、社長登記を妻ケレンに引き継ぎました。まるでこの後の事件を予知するかのように・・・。

 

悲劇は、猛暑となった2003年秋の収穫期におこりしました。

ロマン・リニエが突然病に倒れたのです。彼を襲ったのは、なんと脳腫瘍でした。若い身体は癌の進行が早く、可哀想なことに翌2004年2月、享年34歳でロマンは帰らぬ人となりました。病の発症から僅か数ヶ月の出来事でした・・・。

1973年生まれの若き妻ケレンには当時4歳の長女リュシーと2 歳の長男オーギュストが残されました。

 

ケレンは、ロマンが直接所有していたグランクリュ、クロ・ド・ラ・ロッシュの一部を始めとする1.5haの畑を相続しました。結婚する時ロマンは、万一彼に何かあった場合、すべてをケレン(と将来の子供たち)が相続できるように、フランス法上の特別な結婚形態を選んでいたのです。

 

しかし希望の星を失ったリニエ家のその後を困難なものとするのは、古今東西を問わず何処にでもある感情的な人間関係のもつれでした。そもそも結婚後わずか5年のアメリカ人妻とブルゴーニュという田舎農村の舅夫婦との人間関係は、以前から上手くいっていなかったのです。農村における外モノへの排他的な感情は厳しいものがありますが、夫に先立たれたケレンは、一族からも、村人達からも孤立した存在となってしまいました。

 

本来亡きロマンが全てを継承することになっていた名門ワイナリーですが、彼の急逝後運営は、暗礁に乗り上げました。先述の経緯もあり多くの畑の所有権は、ロマン所有の1.5ha以外依然として義父が持ち、その継承がこれからだったことが、話を複雑にしました。

リニエ家では大手ワイン製造会社に就職していた長兄ローランが、老夫婦を継ぐために戻ってきました。ユベール・リニエ一族としてのワイン、先祖から受け継いだ土地を守ろうと考えたのです。ユベールは、温厚実直で知られた人物ですが、自分の後は長兄のローランに引き継がせたいと考えます。義父ユベール一族は、醸造所を新たに購入し、ケレンとの対立は、より一層激しく愛憎入り交じった泥沼にはまっていくことになります。

 

ケレンがアメリカ人であったことも、特にこの時期フランスで生活することにとって難しい境遇となりました。ブルゴーニュ・ワインにとって、アメリカは当然世界の中で最も重要な市場です。基本的にアメリカ人の生活の中でフランス製品はイメージが高く、特にワインが特別な地位にあるのは、周知の通りです。アメリカ人の夫人がいるワイナリーというのは、一般的には海外市場向けには、有利にはたらきます。しかし折しも2003年3月、イラク戦争を巡って、当時のフランス外相ド・ヴィルパンが国連で演説し、戦争突入を鮮明に反対したことが世界的に報道されました。これ以降フランスとアメリカの関係は官民問わず険悪化に向かってしまいます。アメリカが以前のようにフランスワインを積極的に買わなくなってきたことは、ブルゴーニュの人たちの生活に直面する深刻な出来事でした。(この頃フランスワインの売り上げが高級品を中心に20%以上落ち込んだと、最近スタンフォード大学ビジネススクール(GSB)のPhillip Leslie教授が発表しています。)イラク問題は、ケレンに直接関係があろうはずもありませんが、人口わずか700人のモレ・サンドニ村に母子3人で生活するケレンの境遇を更に厳しくするには充分な出来事でした。

 

そんな孤立感を高まらせていた若き未亡人のケレンですが、2人の幼子を抱えながら、そして親族との軋轢を抱えながら、夫の遺志であるワイン造りを続けていくことを力強く決意します。ボーヌの醸造学校CFPPAでBPREA(栽培・醸造コース)を修了して、プロの栽培・醸造家としての資格を取得すると、オーストラリアで有名なワイナリー「デ・ボルドリ」の醸造部長ビル・ダウニー氏を顧問に招聘し、また地元ブルゴーニュの名栽培家ドミニク・ポワロット氏を栽培長として迎え、彼女をあわせて3人を中心としたメンバーに、70歳を迎えた1936年生まれの義父ユベールを交えた4人体制でワイン造りを続けました。

 

ケレンは、その間ロマネ・コンティ社とヴォーヌロマネの名女流生産家アンヌ・グロの下で発酵・醸造を学ぶなど、研鑽を積み、プロの醸造家としての技術も習得していきますが、残念ながら義父ユベールとの対立は、厳しさを増すばかりでした。この軋轢の中で、オーストラリア人の醸造顧問ビル・ダウニー氏とケレンを巡る男女の噂もまことしやかにながされました。その結果、ダウニー氏はわずか1年ほどでワイナリーから去ることになります。ただしこの後も、この道25年の名栽培家ドミニク・ポワロット氏は、ケレンの全面支持を表明し、2006年以降のワイン造りはケレンとポワロット氏の2人が行うことになりました。

 

このポワロット氏の支持とケレン自身の醸造家としての努力によって栽培・醸造の両方のスタッフがケレンを支持したこともあり、ケレンは責任者として、栽培・醸造を続けました。義父ユベールの所有畑については、ロマンが健在な頃の契約に従い、収穫後の1/3を義父のワイナリーに引き渡すことになりました。2007年からは、収穫後のぶどうをユベールが受け取り、発酵醸造もユベールと長兄ローランが行っています。ユベール・リニエでは、このワインと新たに他の栽培者と契約した部分も含めて、以前と同じラベルでワイン造りが継続されることになりました。世界的に有名なブランドであるユベール・リニエの名前とラベルは、老夫婦と長兄が守ることになったのです。重みある昔ながらの古典的な趣を感じさせるモレ・サンドニを造ります。

 

30代のケレンは、夫の夢「さらにエレガントで美しいワインづくり」を引き継ぎ、義父が所有する「偉大な畑のぶどうを醸造する権利」を獲得して新しいワイナリーを設立する事になりました。ワイナリーの名前は、『ドメーヌ リュシー&オーギュスト・リニエ』。それは彼女自身ではなく、他界当時4歳であった長女リュシーと2歳のオーギュストへ託した、幼い子供達への亡き父ロマンの遺志を記した名前なのです。

 

あらゆる確執を乗り越えたワイナリーの船出が始まりました。大きな希望は、ロマンが造っていた味わいのエッセンスが、ケレンにも引き継がれていると感じさせることです。ワインは、伝統的な力強い美しさの中に新しいピュアな果実感が感じられます。モレ・サンドニの個性であるしっかりとした土壌を感じさせるだけでなく、エレガントでしなやかな仕上がりに、ケレンの意志の力強さ、フィロソフィーが秘められているようです。ひいき目ではなく、新しい優秀な生産家の誕生だと思います。プルミエ・クリュ(法定1級)に格付けされた畑で、平均樹齢が75年にもなる特別に樹齢の高い老木から生まれるワインは、『キュヴェ・ロマン・リニエ』と亡き夫の名を付けてリリースされました。亡きロマンの2倍以上の樹齢が生成する複雑な凝縮度は、永遠の生命力を伝えるようで、まさしくロマンの遺志を継ぐ決意を込めた1本と言えるでしょう。

 

それにしても・・・もし、ロマンがあと10年長生きしていたら、こんな確執は起こらずに、もっと自然に相続が行われていたのではないか・・・。それを考えると幼子2人を抱えたケレンが不憫ですし、一方長きに渡る自らの努力によって築きあげた、ワイナリーの名声と財産を、感情的折り合いのつかないアメリカ娘に継がせたくないと考える老ユベール・リニエの気持ちもわからないではありません。若き後継者ロマンの死から始まる悲劇は奥深いものとなりました。もうすぐ思春期を迎えるロマンの遺児二人の将来も見守っていきたいものです。

 

かくも人生は厳しいが、強く営みを続けていくものなのでしょう。

 

内池 直人