
第2回 レオノール・フィニ
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2ème tableau, 1952, Léonor Fini |
今回は1952年のラベルを担当した女流画家レオノール・フィニを取り上げます。
絵画ラベルが始まって以来、二人目の女流画家(一人目はマリー・ローランサン)として選ばれた彼女は、当時パリできら星のごとく輝いていた存在でした。
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1950年前後のパリ Jazz
in Paris |
1950年前後のパリ、それはサン・ジェルマン・デ・プレのカフェ・ド・フロール(Café de Flore)やドゥ・マゴ(Les Deux Magots)に実存主義者サルトル(Jean-Paul Sartre, 1905-80)たちが集い、世界の思想をリードしていた頃。あるいは『異邦人』(L’Etranger, 1942)のカミュ(Albert Camus, 1913-60)、『悲しみよ、こんにちは』(Bonjour Tristesse, 1954)のサガン(Francoise Sagan, 1935- )たちが、心地よい語らいの場として訪れていた頃(上記二つのカフェのサイトでは、当時の写真等を見ることが出来ます)。しかし実存主義の流行にも急速に翳りが見え出し、さらなる新しい時代の胎動を感じる転換の時期でもありました。1952年のムートンラベルはこうした時代に描かれたのでした。このラベルをもとに、レオノール・フィニというこのきら星の生成から永遠までを辿っていきましょう。
☆銀河の中で
1952年のムートンのラベルを飾るのは、幼い羊。少年のようでもあり、少女のようでもある、両性具有的な顔立ち。小学生の雑記帳から切り取ったような自然さ。黒のインクに赤で彩色され、全体としてはややシャープな印象ですが、ひとたびこの羊の神秘的な眼差しに捕らえられると、赤と黒の世界はたちまち奥行きのある不思議な空間に変貌するかのようです。

この作品(オリジナルは縦32×横23.4p)を描いたのは、アルゼンチン出身のイタリア人女流画家レオノール・フィニ。先ず始めに、彼女と30年以上にわたって親交のあった作家アンドレ=ピエール・ド・マンディアルグ(André Pieyre de Mandiargues,1909- )の言葉を見てみましょう。
・・・自ら燃え立つ素材を己れ自身の中から引き出すことが可能な炭火のように煌き燃えつくす明晰な知性と、火花のしぐさで躍り跳ねる敏捷な知性をそなえ、その赴くところ比なく多種多様な分野のすべてにおいて創造的で、とっくの昔に跡を絶った一握りの専制君主だけがかくあり得たように磊落豪放*1、しかも幼児の純粋な熱狂を存分に発揮して遊び好きで、滑稽味のたいそう肉附きよい意味においてからかい好きで、その炸裂が一部の人間には恐るべきものに映じかねない専制主義に終始取り憑かれ、こうした面にもまたこの女性の深く知れば知るほど敬服の念をかきたてられる本領がうかがえるのである。
(アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ、『レオノール・フィニーの仮面』、生田耕作訳、奢灞都館、1993年、14項。)
このマンディアルグの文章そのものが持つ、アクロバティックなまでのイメージの連鎖にも驚きますが、レオノール・フィニに感じられる特徴をすべて捉えています。少し長い引用となりましたが、フィニとマンディアルグ、この強烈な二つの惑星がぶつかりあう爆発のようなものをお感じいただければと思います。それでは、「この女性を深く知ればしるほど敬服の念をかきたてられる」といわしめたレオノール・フィニの少女時代を少し振り返ってみましょう。
☆星の誕生:感性豊かな少女時代
ナポリ生まれのアルゼンチン人を父に、トリエステ出身のイタリア人を母として、レオノール・フィニは1908年にブエノスアイレスで生まれました。そして…、と続けたいところですが、実は彼女の誕生年は謎に包まれています。カタログによっては1918年生まれと書いてあったり、あるいは記載がなかったり、どうやら彼女は自分の年齢を明らかにすることを避けているようです。
皆と同じように進んでいく時間枠にはめ込まれるのではなく、彼女自身が己れを基点として時間を作り出していくことが重要なのであり、これは一つの決然とした立場表明と言えるのではないでしょうか。決して、「サバをよみたい」という女性特有の(?)ズル賢さ、虚栄ではないという事が、彼女の生き方を見ていくと感じられると思います。
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| クリムトの代表作「接吻」 「夜明けのタンゴ」文庫本表紙 五木寛之 新潮文庫 |
ドン・ファンのような父のもとを母はすぐさま離れ、レオノールを連れて生まれ故郷トリエステに戻ります。彼女は幼少期、少女期をこの地で、豊かな教養を備えた母親の親族と過ごし、独学で絵を描き始めます。
初めは、英国のラファエロ前派*2に心酔しますが、次いでクリムト(Gustave Klimt, 1862-1918)、ムンク(Edvard Munch, 1863-1944)、とりわけビアズレー(Aubrey Vincent Beardsley, 1872-1898)の影響を受け、自分の審美眼だけを頼りに自由に絵画への親和力を身につけていったようです。
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ヨカナーンの首に接吻するサロメ |
独立心旺盛だった彼女は17歳頃に親元を離れ、ミラノで数年を過ごした後、1933年にパリに居を移し、ブルトン(André Breton, 1896-1966)と出会います。シュールレアリスムの運動に影響を受けながらも、特定のグループに属することは拒否しつづけます。そのため、彼女の画風はいかなる流派にも分類し得ない独自の特徴を示しているのです。それでもやはり、20世紀最大のシュールレアリスム画家マックス・エルンスト(Max Ernst, 1891-1976)やポール・エリュアール(Paul Eluard, 1895-1952)らとの邂逅は、彼女の生涯に多くをもたらしました。
まさに、シュールレアリスムが単なる文学運動としてあるだけにとどまらず、 一つの大きな思想となって、他の芸術ジャンルとも有機的に絡み合い、発展していった過程を示す例であると言えましょう。
こうした経験によって、彼女の作品には一貫した主題が見られるようになります。ほのかに神秘的なエロティスム、アンドロギュノス、夢幻的景・・・、これらが優美で女性的なイマージュの中に感じられます。
特に強調される点として、彼女の画布に登場するのは、ほとんどが女性です。男性が出てきたとしても、眠っていたり、あるいは死んだような男性の姿です。能動的な女性と受動的な男性という構図。あるいは能動的な女性と受動的な女性という構図。こうした点から、レオノールはレスビエンヌとかサディスム、魔女的とか女祭司といった印象を与えるようです。
また、非常に多産な芸術家として、絵画の他にオペラ、バレエ、演劇の装飾も数多く手がけ、またシェークスピア(William
Shakespeare, 1564-1616)、エドガー・アラン・ポー(Edgar
Allan Poe, 1809-49)、サド侯爵(Marquis
de Sade, 1740-1814)、『悪の華』の詩人ボードレール(Charles
Baudelaire, 1821-67)、『火の娘』のネルヴァル(Gérard
de Nerval, 1808-55)、ランボー(Arthur
Rimbaud, 1854-91)との痴情のもつれでも有名な詩人ヴェルレーヌ(Paul
Verlaine, 1844-96)、サルトルが絶賛した泥棒作家ジャン・ジュネ(Jean
Genet, 1910-86)、前述のマンディアルグらの作品に、挿絵を制作しています。ここに挙げた作家たちは、こころなしか彼女の魅力と通じるような気がします。彼女の絵画への親和力は、あらゆる芸術活動への親和力でもあったようです。
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フィニ自身の作品1
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☆猫の惑星:生き方としての野性
レオノール・フィニを語る上で忘れてはならないのが、<スフィンクスの画家>としての神話です。マンディアルグの言葉を借りれば、「人間的なものが猫めいたものとすこぶる緊密な結びつきのかたちで混じ合う、<美わしき怪物>」(マンディアルグ、前掲書、25項。)であるスフィンクスは、画布を飛び出し、遂には彼女の小説『夢先案内猫』(北嶋廣敏訳、工作舎、1980年。)の微熱的な世界に鎮座します。
コルシカ島の廃墟となっていた僧院を買い取り、アトリエとして使っていた別荘で数十匹の猫に囲まれながら生活していた事からも伺えるように、レオノールにとって猫は、愛玩動物ではなく、人格を備えた存在であるようです。彼女の猫への尊敬と愛情は、『夢先案内猫』の美術館での驚くべき描写(前掲書、46-50項。)にも感じられます。アントネロ・ダ・メッシナ、ジュリオ・ロマーノ、ティントレット、フラゴナール、ゴヤ、シャルダン、ピカソ等々・・・、画布上の猫たちが、主人公の猫が発した「にゃーお」という合図によって一斉に動き出す情景は、圧巻です。(この部分では、欧語表記および生没年は省略します。)
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フィニ自身の作品2
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Léonor Fini(1908-96)
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彼女の写真をご覧になられると、彼女自身がどことなく猫の風貌を備えているのにお気づきになられるでしょう。エリザベス・テーラーのようなはっきりとした顔立ち。講談社の『現代美術』シリーズの第8巻は、フィニの画集となっていて、彼女のアパルトマンの様子もカラー写真で紹介されています。
実際に彼女へインタヴューした俳優・中尾彬氏のエッセーも読むことが出来ます。初めは、彼のエッセーが画集に納められていることに少し驚きましたが(私はトーク番組で江守徹氏と仲良く喧嘩をしている姿しか知らなかったので)、エッセーを読んで中尾氏の経歴に興味を覚え、少し調べてみました。バラエティ番組でも独特の存在感を醸し出している中尾氏は、1961年に武蔵野美術大学油絵科入学(後に同校中退)し、1963年にはパリ留学をしています。歯切れの良い、しかし気だるいような、パリらしさの伝わる文章はこの経験を生かしてのことなのでしょう。ところで、中尾氏夫人である女優・池波志乃も猫的で、フィニにどことなく似ているような気がしませんか?中尾彬氏は猫派?
脱線したついでに、もう一つ。ワインの香りについて、「猫のおしっこ臭*3」と形容するのを時々耳にします。私自身、白ワイン、特にソーヴィニョン・ブランにこの臭いを感じたことがあります。ワインと猫で思い出すのは、ドイツの白ワイン、シュバルツカッツ。黒猫が乗っていた樽の白ワインがとても美味しかったから、「黒猫」という名が付いたという逸話を聞いたことがあります。真偽の程は定かではないですが(逸話は楽しむもの!)、猫には何か特別な予知能力が備わっていると私は信じます(私は犬派ですけれど)。猫族の女王レオノール・フィニがラベルを担当している1952年のムートン・ロッチルドを味わえば、その秘密がわかるかも?
動物とレオノールとの繋がりに関して、もう一度マンディアルグの親しみのこもった解説を読んでみましょう。
レオノール・フィニーは、もしかりに、およそ考え難たいことではあるが、なにか一つの種族に属しているとすれば、それはすべてのうちで最もひ弱でない種族としか取りようがない。
捉えどころない時刻が、彼女の生き方の中でもやはり、占めているにちがいない位置を測定するためには、<獣的誘惑>と名付けてもよさそうな、動物にたいする愛情の際立って鋭い一形態におかならない変身への漠然とした願望の前に、とりわけ、彼女がどれほど敏感であるかを知るためには、彼女の絵を見つめ、そこに漲る涯てしないノスタルジーに注目するだけでこと足りるだろう。しかしレオノール・フィニーの絵はさらにいま一つのものを覗かせている。それはまさしく<遊び>にほかならず、それを通して彼女はこのような動揺・誘惑を超克・併呑してしまうのである。創造者の遊びにも等しい遊び(ヒエロニムス・ボッシュの場合もやはり<神の猿>と仇名されたものだ)、人間の男女に似てはいるが、動物や植物や鉱物にも負けず劣らず似ている、この世のものならぬ異様な混種の生き物で絵画給u潟р埋める遊び。
(アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ、『レオノール・フィニーの仮面』、生田耕作訳、奢灞都館、1993年、24-25項。)
☆流れ星:変身の儀式・遊び
彼女の<獣的誘惑>は、<仮面>を身に付けることにも表れています。日常生活でも仮面をかぶることによって、怪物的に変身することを望んでいたといいます。彼女にとっては日常世界さえも、自らが演出し、主演する絵画空間であったのでしょう。
『レオノール・フィニーの仮面』には白黒写真ですが、鳥や猫などの仮面が10点ほど紹介されています。カラー写真ではないので、マンディアルグの説明文を読みながら、私達は自分の想像力をたくましくしなければなりませんが、かえってその方が良いのかもしれません。心の声を聞き、心で色を調合し、心でビロードや羽に触れてみる・・・、レオノールの世界の入り口を開くには、彼女が仮面で日常空間と絵画空間を行ったり来たりしていたように、私達も夢と現実の世界を彷徨わなければならないのかもしれません。
印象深い作品『糸繰り女』(1954)は、二人の女が向かい合って座り、一方の女に巻きついた糸が、もう一方の女の手にした毛玉まで、長く伸びているという絵ですが、彼女の内省的世界を象徴するかのようです。『夢先案内猫』の裏表紙(紫で印刷されていますが)で見ることができます。
☆永遠の星になる
1996年、パリでレオノールは人生の幕を降ろしました。かつてコルシカ島の彼女のアトリエには、マックス・エルンスト夫妻、マンディアルグ夫妻らが常連客として滞在し、特に親交を深めていたといいます。他にもジョルジュ・バタイユ(Georges Bataille, 1897-1962)、イブ・ボンヌフォア(Yves Bonnefoy, 1923- )といった錚々たる人物と交流を持っていたようです。1968年にコンスタンタン・ジェレンスキー(Constantin Jelenski)が書いたレオノール・フィニーに関するエッセー、72年版のための覚書には、レオノールの生い立ちや作品解説に加え、友人達による評言を多数読むことができます。ご興味のおありの方は澁澤龍彦氏による翻訳(コンスタンタン・ジェレンスキー、『レオノール・フィニー』、in『澁澤龍彦翻訳全集』第14巻、澁澤龍彦訳、河出書房新社、1997年、35-76項。)がありますので、そちらをご覧になられると良いでしょう。他にも、フィニに関する評論等を納めた図書を末尾の目録に挙げてありますので、ご参考にしていただければ幸いです。
フィニの作品は、個人蔵のものが多いようですが、La Galerie Minsky(46,
rue de l’Université, 75007, Paris,
France)が体系的にコレクションしているようです。この画廊が開設しているインターネットサイト(http://www.leonor-fini.com/)では、所蔵作品を見ることができ、またリトグラフや書籍をオンラインで購入することもできるようになっています。パリを訪れる機会がなくても、インターネットでフィニの世界に浸ることができます。
講談社の画集末尾には「フィニの見られる画廊」というリストがあります(113項)。残念ながら記載されているギャラリーはホームページを開設していないようです。フランスとベルギーを訪れる際に是非立ち寄ってみたいものです。以下に連絡先を記しておきます(電話番号は検索サイトを使って私自身で調べました。変更されている可能性もあります。ご了承ください)。
Galerie Dionne, 16 bis, Rue des Saints-Pères, 75006, Paris, France, Tel:1-49-26-03-06
Galerie Bosquet, 44 Av. Bosquet, 75007, Paris, France, Tel:1-45-51-55-86
Proscénium, 35, Rue de Seine, 75006, Paris, France
Guy Pieters Gallery, Zeedijk 742, 8300 Knokke-le-Zoute, Belgium, Tel:050/61 28 00
気品をたたえた繊細な筆致とすこしの茶目っ気。ある時はまた、子供らしい無垢と冷酷さ。1952年のムートンのラベルは、見えないものを見ようとするレオノール・フィニ流の<透明感のある幻影>としての作品であり、レオノール流<遊び心>の実践だったのではないでしょうか。
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追記
驟雨のふり注ぐ梅雨の土曜日、有栖川「清水」で昼食会がありました。先に日本で行われたG7サミットで、各国大統領、首相が昼食会で使用したというお座敷では、お部屋内に掘りごたつをぐるっと囲むようにせせらぎが設けられていて、その水音に心が洗われるような気持ちになります。雨露のせいでしょうか、お庭の緑は青々と、しかしうっすらと靄がかかったように幻想的に映えていました。
この昼食会では幸運にも、アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの数少ない翻訳者として、また早稲田大学文学部フランス文学の教授でいらっしゃったS先生ご夫妻様とご一緒させていただきました。今回のコラムでは女流画家レオノール・フィニを取り上げましたが、幾つかの部分でマンディアルグにも言及しています。既に原稿を書き終えていた私は、偶然にもS教授とお会いするというこの不思議な巡り合わせに、マンディアルグの作品へと私を導いてくれたフィニの神秘性をますます強く感じることになりました。
昼食会では、「清水」の心細やかな懐石料理(滝川豆腐、とうもろこしをすりつぶして白味噌とあわせたお椀、お造り、さば寿司や瑞々しい青梅のゼリー寄せ等が美しく盛られた一皿、夏らしく冷たい煮物、和歌山の天然鮎の塩焼き、茶そば、シロップで軽く煮た枇杷)と、白はミュスカデ(年代をメモし忘れました)、そして赤は96年のジュブレ=シャンベルタン(Gevrey-Chambertin、ドメーヌは記録し忘れました)を頂きました。
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本文中の人名、事項については可能な限り、欧語表記および生没年を丸括弧に入れました。表記不備等には十分気をつけているつもりですが、間違いがありましたら、お知らせいただければ幸いです。
<参考文献>
この図書目録は網羅的なものではありません。本コラムに直接に関係するものに限られています。ご興味を持たれた方の図書案内としてご覧いただければ幸いです。尚、大学、短大等の図書館、研究室に所蔵が限られている文献もありますので、ご了承ください。
1. 基本検索
フランス文学史:饗庭孝男他、『フランス文学史』、白水社、1997年。
篠沢秀夫、『フランス文学案内』、朝日出版社、1996年。
美術辞典:Encyclopédie de l’Art, La Pochothèque, 2000.
『新潮世界美術辞典』、新潮社、1985年。
黒江光彦他監修、『西洋絵画作品名辞典』、三省堂、1994年。
人名辞典:Le Petit Robert Dictionnaire universel des noms propres, Dictionnaires le Robert, 1994.
『岩波西洋人名辞典 増補版』、岩波書店、1983年。
百科事典:Le Grand Robert de la langue française, dictionnaire alphabétique et analogique de la langue française, ROBERT, Paul, deuxième édition, Paris, Dictionnaire Le Robert, 1985, 9 vols.
2. 本コラムの関連書籍
Mouton
Rothschild L’Art et l’Étiquette,
Baron Philippe de Rothschild SA, 1995.
レオノール・フィニ、『夢先案内猫』、北嶋廣敏訳、工作舎、1980年。
『フィニ』、『現代美術』第8巻、講談社、1993年。
コンスタンタン・ジェレンスキー、『レオノール・フィニー』、in『澁澤龍彦翻訳全集』第14巻、澁澤龍彦訳、河出書房新社、1997年、35-76項。
アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ、『レオノール・フィニーの仮面』、生田耕作訳、奢灞都館、1993年。
3.
ワイン関連書籍
Précis des vins de Bordeaux, Conseil interprofessionnel du vin de
Bordeaux, 2ème edition, 1997.
アラン・セジュール/ベアトリス・ド・ラフォリ、『フランスワイン教本』、名越康子監訳、二期出版、1994年。
クリストファー・フォークス、『ラルース ワイン通のABC』、吉田利子/葉山孝太郎訳、日経BP社、1998年。
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編者脚注 |
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| 1 磊落豪放 |
らいらくごうほう。気が大きく朗らかで小事にこだわらないさま。(戻る) |
| 2 ラファエロ前派 |
プリ=ラファエロ ラファエル
ぜんぱ【―前派】 1848年、イギリスの青年画家・詩人たちによって生まれた芸術革新運動。ロセッティが中心。ラファエロ以前のイタリア初期ルネサンス美術に価値を見いだし、その再生をめざして同派の名称とした。プレ−ラファエル派。(戻る) |
| 3 猫のおしっこ臭 |
(= Pipi de
Chat)ワインテイスティングの香りに関する専門用語。酸の強いソーヴィニヨン・ブランのアロマにある種の野生酵母が関係すると発生する、といわれている。だから、おそらくムートンには出てこないでしょう・・・(戻る) |
| 作者 千賀 紗季(ちが さき) 某都内有名大学大学院文学研究科(フランス文学専攻) 博士前期課程修了 ワインライター葉山考太郎氏がCHムートンについての執筆をするときにフランス語文献の原書翻訳を担当したことから本格的にワインに出逢う。 以来、フランスワインをこよなく愛し(男性よりも?)、今日に至る。湘南地区在住。 |