ムートンに愛された画家たちを求めて 千賀 紗季(ちが さき)

バックナンバーはこちら

第5回 バルテュス夫妻
(5
ème tableau, 1991/1993, M et Mme Balthus

 5ème tableau,
 19
91, Mme. Balthus
1993, M. Balthus

 夫、バルタザール・ミシェル・クロソウスキー・ド・ローラ伯爵(Le Comte Balthazar Michel Klossowski de Rola, 1908 - 2001)、通称バルテュス。妻、節子・クロソウスキー・ド・ローラ・伯爵夫人(La Comtesse Setsuko Klossowski de Rola, 1942 - )。この夫婦は、貴族の称号を持つ芸術家夫婦。前回取り上げたドロテア・タンニングも芸術家夫婦(夫・マックス・エルンスト)でしたが、ムートンのラベルを夫婦で飾ることができたのは、バルテュス夫妻だけです。

 ムートンの画家に選ばれること、それは賛否両論あると思いますが、やはり一流中の一流であることの証に変わりありません。その名誉ある画家として、夫婦揃って選ばれたことすら、ひときわ目をひくことでしょう。しかし加えて、この夫婦のラベルは、さらにムートンのラベルコレクションの歴史の中でも、ひときわスキャンダラスな出来事を引き起こしました。夫・バルテュスが担当した1993年のムートンには、何も描かれていないラベルもあるという前代見聞の珍現象。ラベルを彩る絵は、いわばムートンの顔。白い画面となって顔を隠された93年のムートンも一つの作品と考えて、今回は欲張って三つのラベルを取り上げていきましょう。

バルテュス

『若き日のBalthus』
(1908 - 2001)
撮影:マン・レイ

バルテュスの青年期の貴重な写真。
少しネクタイが太いような気がするのは私だけでしょうか?。

  バルテュスはポーランドの貴族の流れを組む家柄の伯爵として、1908年パリに生を受けました。彼の父のエリック(Erich)は美術史家、画家、また舞台芸術家として活躍していました。母のバラディーヌ(Baladine)もまた芸術家であり、一時期、かの有名な詩人ライナー・マリア・リルケ(Rainer Maria Rilke, 1875-1926)の恋人でもあったといいます。

幼い頃から、画家ボナール(Pierre Bonnard, 1867-1947)やマティス(Henri Matisse, 1869-1954)らが夕食をしに来たり、ニジンスキー(Vaslav Fomitch Nijinski, 1890-1950)やストラヴィンスキー(Igor Stravinski, 1882-1971)といった20世紀初頭の芸術家たちに囲まれて育ちました。

芸術家としての素質は、こうして自然と身についていったのでしょう。3歳違いの兄ピエール(Pierre, 1905 - )もエロティックな小説や素描などで有名です。とはいえ彼の両親は、彼が美術の勉強をしたいと望んだ時、ボナールらと一緒に反対をしたようです。そこで彼は独学で、ルーブル美術館でプッサンやシャルダン、イタリアでピエロ・デッラ・フランチェスカとマザッチョなど、過去の巨匠たちの作品を模写することによって絵画技法の基礎を身につけました。

素描画集『ミツ』より Balthus

おかっぱ頭の男の子といい、猫といい、素朴な感じ。
リルケが大絶賛したデッサンです。
どうでしょう?

 1922年、バルテュスが12歳までに描いていた40枚の素描画集『ミツ』(Mitsou)が出版されています。少年時代から東洋に憧れを持って付けた日本名「ミツ」(光)という名の猫と少年の交流をモチーフとした筋書きがあるのですが、言葉による説明は一切なく、子供らしい素朴な絵だけで構成されています。かつて母の恋人でもあり、いつまでも家族の大切な友人であったリルケが、これを大絶賛(ちょっと大げさ?とも思うけれど)。リルケの書いた序文では、猫について哲学的考察がなされています。

 友人にはアントナン・アルトー(Antonin Artaud, 1896-1948)、パブロ・ピカソ(Pablo Picasso, 1881-1973)、ジャコメッティ(Alberto Giacometti, 1901-66)、アルベール・カミュ(Albert Camus, 1913-60)、ピエール=ジャン・ジューヴ(Pierre-Jean Jouve, 1887-1976)、ルネ・シャール(René Char, 1907-88)、フェデリコ・フェリーニ(Fédérico Fellini, 1920-93)などなど…。そういえばパリのピカソ美術館には、バルテュスの作品がいくつか展示されています。交友関係を示す証拠ですね。

 1937年に最初の妻となるアントワネット・ド・ワットヴィル(Antoinette de Watteville)とは、4歳の頃に既に出会っています。彼女もベルン州の高貴な家柄のお嬢様。バルテュスは彼女の聡明さ、誇り高さ、貴族的な物腰など、彼女の内に宿る全てを愛していたと告白しています。「山」(1937年)や「白いスカート」などの作品に彼女の面影を見ることができますし、離婚した後も絶えることのない友情で彼らは繋がっていました。彼女との間に生まれた息子・スタニスラス(Stanislas)は、バルテュスについての本を書いています。

『山』Balthus

約2.5m×3.6mのとても大きな作品。
背伸びをしている少女のなんともいえない表情に、こちらも妙な気分になってしまいます。
バルテュス最初の奥さん(ド・ヴァットヴィル嬢)がモデルになっているそうです。

 

 第二次世界大戦の時、バルテュスは前線へ送られるものの負傷し、以後はパリ、サヴォア地方、スイスなどを移り住みます。戦後パリに戻り、1950年代の初めにはスイス・モヴァン地方へ。61年に、当時フランスの文化大臣だった友人のアンドレ・マルロー(André Malraux, 1901-76)がバルテュスをローマにあるアカデミー・ド・フランスの館長に任命します。彼はアカデミーが置かれていた由緒のある建物ヴィッラ・メディチの修復に全身全霊を捧げて取りかかります。そのため、あまり作品の制作はしていませんが、バルテュス自身がこの時期を、生涯で最も幸福だった時期だと述べています。

 そして62年に、熱烈な日本賛美者であったマルローからパリのプティ・パレ美術館での日本美術展開催のための選定を任され、訪れた東京で20歳だった出田節子(Ideta Setsuko)と出会い、67年に結婚。その時バルテュスは59歳でした。

バルテュスと節子

BALTHUS, Propos recueillis
par Cristina Carrillo de Albornoz

Éditions Assouline, 2000

和服を着てソファに座ってリラックスした感じ。こういうおじいちゃま、普通にいそうです。

バルテュスの言行録的な本BALTHUS, Propos recueillis par Cristina Carrillo de AlbornozÉditions Assouline, 2000)をパリで見つけました。バルテュスが語ったテーマをアルファベット順に並べたコンパクトな本です(最近、日本で英語版を発見しました)。

この本にはもちろん「Setsuko」という項目もあります。この項目には、節子と出会えたのはマルローのおかげというフレーズが見られますが、「Marlaux」の項目でも、マルロー自身に関するコメントと共に、節子を(間接的に)引き合わせてくれた人物、と書いています。

マルローがバルテュスを日本美術担当として任命した事がきっかけで、節子と出会ったのは事実ですが、マルローもそこまで考えて任命したわけでもないのに…。とにかく、宇宙のすべてが節子にひきつけて書かれている感じで、バルテュスにとって節子との出会いは、導かれるべくして導かれた運命。本当に節子を愛してやまなかったのでしょう。

節子はバルテュスの傍らで、常に和服を着て過ごしていました。それは彼の強い希望だったようです。そしてバルテュス自身も着物を普段に愛用していました。ここに和服姿のバルテュスの写真がありますが、全く違和感がないのは何故?こういうご老人、普通にいそうな感じです。ところで今回色々と画集を見ていて、バルテュスの写真というと、歳をとった姿のものが多いという印象を持ちました。息子のスタニスラスによると、若かりしころのバルテュスは、家族の者がこっそり隠れて写真を撮ろうとするのも禁止するくらいの写真嫌い・メディア嫌いだったそうです。後年になって頻繁にインタビューなどを受けるようになったということですが、そう考えると、このマン・レイが撮影した若い頃のバルテュスは、珍しいショットの一つなのですね。

 1970年代の初めはイタリアで、77年からはスイス・アルプスのグラン・シャレに住み、2002年に 亡くなるまでバルテュスはそこで制作を続けました。現在この館はバルテュス財団となっています。この建物は18世紀の半ばに建てられたもので、木造の構造や周囲の山々に囲まれた荘厳な雰囲気によって、日本の山中に建てられた神社を思わせます。節子との生活は、子供の頃から心惹かれていた極東の文明の内部に分け入る事を可能にしたのでしょう。節子はアトリエで、バルテュスの制作の手伝いもしています。その様子は、東京ステーションギャラリーで開催された『バルテュス展』(1993113日−1994130日)のカタログに彼女自身の文章で語られています。

バルテュスと節子と春美

 1973年にバルテュス夫妻には、一人娘・春美が誕生します。

 彼女も幼い頃から、オードリー・ヘップバーンやフェリーニらが自宅を訪ねてくるような生活を送り、父バルテュスの絵のモデルにもなっています。父が幼い頃から一流の芸術家達に囲まれて育ったように、彼女もまた素晴らしい環境で芸術的感性を磨いていったのでしょう。創作活動を行うべく運命づけられていたのでしょうか、彼女はタイ王国の王女・Charuvan Sursock-Rangsit, Princess of Thailandと一緒に1996年からジュエリーデザインの仕事をしています。CNNなどのメディアにも取り上げられたそのスタイルは、アジアン・スタイル。トルコ石やガーネットといった石、67年に節子がバルテュスとのハネムーンの際にアジアで買い求めた中国サテンのボタンなどをミックスしたネックレス、イヤリング。鮮やかな色の組み合わせ、植物や漢字からインスピレーションを得たモチーフなど、インパクトあるアクセサリーです。

 近頃、Harumi Klossowskaという名前で、彼女のブティックが表参道のエスキス内にオープンしました。オープニングパーティーには母・節子と共に、女優の宮沢りえや中村玉緒、歌手の都はるみ、版画家の山本容子などを招待したようです。お店を見てきた印象として、おおぶりなものは、きゃしゃな日本人女性の普段の装いには少々合わせづらい感もありますが、ブレスレットは個人的に気に入りました。ジーンズ&Tシャツのシンプルなスタイルにアクセントとして身につけたい。ロゴやデザインを一目見てブランド名が推測されるようなジュエリーよりも、こなれたお洒落感を出せて、しかも知る人ぞ知るという通な感じは、魅力的。ほとんどが一点もののような希少価値もあり、世界中のセレブも御用達だとか。ご興味のおありの方は、是非実物をご覧になって下さい。

 またまた余談ですが、もともと彼女はジョン・ガリアーノ(John Galliano, 1960- 、いわずとしれた現在のクリスチャン・ディオールブームの火付け役です)のプレスオフィスで働いていて、ファッション関係のお仕事をしていました。その後ジュエリーデザインの道に進んだようです。ところで、ファッション業界のプレスは、良家の令嬢が多いというのを皆さんはご存知でしょうか。ヴァンドーム広場にあるフランスの高級宝飾店などもしかり。フランスの週刊誌、パリ・マッチ(Paris Match)やポワン・ド・ヴュ(Point de vue)などの社交界ページ(最終ページ近くにあります)は、上流社交界の相関図が見られてなかなか面白くて、必ず見てしまいます。ちなみに彼女のボーイフレンドは、イヴァン・ド・ラ・フレサンジュ(Yvan de la Fressange)。今現在、彼らの関係が続いているかどうかはわかりませんが、名前からわかる通り、彼もしっかり由緒正しき貴族ですね。

ムートンラベル

 さ 91年、93年のラベルに話を移しましょう。当時、バルテュスは不動の地位を築いていた大画家でした。なぜそのバルテュスよりも先に夫人の節子がラベルを担当したのでしょうか。そのあたりを色々と調べてみましたが、以下の2つの説をご紹介しておきます(ムートンによる公式発表といった類のものではないので、あくまで推測です)。

 まずは、1991年が日本の未年にあたるので、バルテュスよりも先に日本人である節子がラベルを担当したという説。もう一つは、バルテュスほどの大物芸術家に依頼するための第一段階(気難しい芸術家への根回しが必要?)として、バルテュス夫人である節子が選ばれたという説。いずれにせよ、ムートンのラベルコレクションの歴史の中で、夫婦そろって作品を提供しているのは、バルテュス夫妻のみです。ムートンの所有者ロッチルド家は、男爵の家柄なので、バルテュス夫妻とは社交界での繋がりがあるでしょう。フィリップ男爵死後、ムートンの画家を決定するのは娘・フィリッピーヌ男爵夫人ですから、節子と女性同士の親近性があったのかもしれませんね。恐らく家族同士の繋がりもあることだろうし、根回し説よりも未年に合わせて節子に依頼したという説の方が、可能性が強いし、きれいな感じがしますよね。


 1991年の節子のラベルを見てみましょう。テンペラで制作されたオリジナルは、66センチ×87センチという割としっかりした大きさのものです。左側に縦書きで「節子」と署名が入っています。節子はもともと静物画を中心に絵画制作を行っていたため、この作品も芥子色の背景に4つのオブジェが描かれています。左から右に、チューリップらしき花の挿された花器、杏の瓶詰め、麦とバスケット、ワインの入ったカラフ。ムートンのラベル解説書によると、これはワイン生成の流れを表しているのだそうです。葡萄の樹は花を咲かせ、果実をつけ、収穫され、ワインとなる。構図といい、モチーフといい、非常に女性らしい印象を受けます。

 1991年はバルテュスが第3回高円宮殿下記念世界文化賞を受賞し、授賞式出席のため、6度目の来日を果たしています。節子の絵がムートンのラベルを飾る91年が出回るのは93年だから、授賞式の時にお祝いとして飲むことはできないけれど、夫婦揃っての良い思い出の年となったのではないでしょうか。

 それから2年後、夫バルテュスが担当した93年のムートンラベルは物議をかもします。バルテュスがさらりと描いた少女の裸体画。これがアメリカでは幼児ポルノとしてネオ・ピューリタンの批判を受け、アメリカ政府から輸入禁止の裁定を受ける危機に直面します。ムートンにとってアメリカは上得意のお客様。ラベルが原因で輸出できなくなるなんて、予測不能の非常事態。まさかアメリカがこんなにも芸術を解さない国だなんて、ときっと思ったに違いありませんが、アメリカ輸出用に何も描かれていない真っ白のラベルを急遽用意し、輸出にこぎつけたのです。

 鉛筆でさっとスケッチされたような少女の裸体図(オリジナルは30×40p)。横たわりながら両腕を頭上に挙げ、ぼんやりとした眼差しをこちら側に向けています。肌の柔らかさ、なめらかさが、画面全体から伝わってきて、心が洗われるような清らかさです。

 さて、このクロッキー画を児童ポルノと言えるのでしょうか?私の答えは、ノーです。そもそも、あまりにも即物的・制度的な視点を芸術に持ち込み、政府として輸入を禁止してしまうという異常事態に、アメリカが抱える深刻な幼児・児童虐待の実態が垣間見られる気がしてなりません。このような問題の多くが私的空間での犯罪であるために、正確な件数は明らかにされにくく、表に出てくる事件は氷山の一角とも言われています。幼児や児童に対して行われる犯罪を決して許してはならないですし、見過ごすことはできません。

 しかし、芸術におけるエロティックなものとは、決して欠かすことのできないモチーフであり、危うさと無垢、過剰と欠如のさじ加減は、時代、民族、年代などによって変わるもので、不変の理論というものはありません。このラベル騒動は、芸術空間と現実空間をどのように共存させ、競合させるのか、という決して答えの出ない永遠のテーマに辿り着きます。そもそも、解釈とは、拠り所とする枠組みによって変わるのですから、ある人にとっては正でも、ある人にとっては偽でありえます。もちろん、こうした答えの出ない問題こそが、何かを生み出す原動力になるのです。ポルノグラフィーと芸術の問題系の本として、最近、『愛の衣装』(伊藤俊治、筑摩書房、1990年)を読みましたが、体系的なアプローチで、図版も充実していて、非常に刺激的な一冊でした。

 キリスト教の一宗派の主張が、輸入禁止という国家的対応にまで至らしめた構図。キリスト教のアメリカ政府への影響力は、昨今の緊迫した国際情勢に対応するアメリカという国に感じられますが、1993年のバルテュスラベルのドタバタ劇も、「複雑な権力構造を持つ国アメリカ」という問題をはらんでいるのです。

バルテュスと少女

 バルテュスの製作において重要なことは、同じモチーフが繰り返されるという点です。猫、鏡など、多分に神話的な要素もありますが、ラベルモチーフでもある「少女」も欠かせません。彼自身がこのモチーフへの思い入れについて、「婦人」と比較しながら次のように語っています。

 「私は婦人の裸体画を描くことは決してないでしょう。婦人のそれよりも、少女の美しさに、より一層の興味や完璧さを覚えてしまったのです。少女たちは、生成や 【前‐存在】(l’avant-être)を体現し、最も完成された美を象徴しています。婦人は、世界の中に既に位置づけられた存在ですが、思春期(adolescent)の娘−ラテン語adolescereは「大きくなる」の意−はいまだその場を見出していないのです。婦人の肉体は全体的にあまりにも定義され過ぎていますが、少女の肉体はもっと美しい(笑)。私の絵に関する誤解は、まさに少女たちへのこうした話しにあるのでしょう。私の作品を「官能的」と形容するのは馬鹿げています。少女たちは聖なる、神々しい、天使的な存在なのです。 」
(BALTHUS, Propos recueillis par Cristina Carrillo de Albornoz, Éditions Assouline, 2000.より。翻訳は著者による。)

少女の裸体図と、差替えられた真っ白いラベル。白ラベルには、思いのままに心象風景を投影してみましょう。ある人が、この真っ白ラベルの素敵な楽しみ方を教えてくれました。ワインを楽しんだ後に、ラベルに思い思いのメッセージや絵を書いてオリジナルラベルを作ってしまうということ。バルテュスのデッサンが、成熟しきっていない少女に見出された美を表象しているのだから、おさまりの悪い私のヘタクソなデッサンも、完璧でない楽しみ、面白みを表象(してればいいな)。ムートンからラベルの依頼が来る時のために(絶対にあり得ないけれど!?)、93年ラベルで予行練習をしておきましょう。


アメリカ向けラベル・・・


 妄想ついでに、女性の端くれであるワタクシ千賀沙季から、男性の皆様へ、一つご提案。ここ一番の決め時には、91年と93年ムートンとHarumi Klossowskaのアクセサリーをセットでプレゼントするなんていかがでしょう?

「91年のワインと93年のワインの愛の結晶を、ほら、君に…。」

 あららら、そこのアナタ、頭の中で誰かの姿を思いつきましたね?あららら、こちらのマドモワゼルは、既にそんなご経験を?!(妄想、妄想)
お財布と相談必至のキザな演出だって、ムートンだから恐くない(ハズ)!意中のお相手はイチコロ(のハズ)。(但し、失敗しても責任は負いかねます)。Bonne chance !


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

本文中の人名、事項については可能な限り、欧語表記および生没年を丸括弧に入れました。表記不備等には十分気をつけているつもりですが、間違いがありましたら、お知らせいただければ幸いです。 

<参考文献>

この図書目録は網羅的なものではありません。本コラムに直接に関係するものに限られています。ご興味を持たれた方の図書案内としてご覧いただければ幸いです。尚、大学、短大等の図書館、研究室に所蔵が限られている文献もありますので、ご了承ください。

 1. 基本検索

フランス文学史:饗庭孝男他、『フランス文学史』、白水社、1997年。

篠沢秀夫、『フランス文学案内』、朝日出版社、1996年。

美術辞典Encyclopédie de l’Art, La Pochothèque, 2000.

『新潮世界美術辞典』、新潮社、1985年。

黒江光彦他監修、『西洋絵画作品名辞典』、三省堂、1994年。

人名辞典Le Petit Robert Dictionnaire universel des noms propres, Dictionnaires le Robert, 1994.

『岩波西洋人名辞典 増補版』、岩波書店、1983年。

百科事典Le Grand Robert de la langue française, dictionnaire alphabétique et analogique de la langue française, ROBERT, Paul, deuxième édition, Paris, Dictionnaire Le Robert, 1985, 9 vols.

 

2. 本コラムの関連書籍 ・インターネットサイト

Mouton Rothschild L’Art et l’Étiquette, Baron Philippe de Rothschild SA, 1995.

バルテュス、『ミツ/バルテュスによる四十枚の絵』、阿部良雄訳、風信社、1986年。

BALTHUS, Propos recueillis par Cristina Carrillo de Albornoz, Éditions Assouline, 2000.

Balthus, dessins et acquarelles, Galerie Claude Bernard, Paris, 1971.

Stanislas Klossowski de Rola, Balthus, Éditions de la Matinière, 1996.(訳書:スタニスラス・クロソウスキー・ド・ローラ、『バルテュス』、野村幸弘訳、岩崎美術社、2001年。)

『バルテュス展』、東京ステーションギャラリー、1993年。

『バルテュス展カタログ』、京都市美術館、高階秀爾監修、朝日新聞社、1984年。

3. ワイン関連書籍
Précis des vins de Bordeaux, Conseil interprofessionnel du vin de Bordeaux, 2ème edition, 1997.
アラン・セジュール/ベアトリス・ド・ラフォリ、『フランスワイン教本』、名越康子監訳、二期出版、1994年。
クリストファー・フォークス、『ラルース ワイン通のABC』、吉田利子/葉山孝太郎訳、日経BP社、1998年。 

©Saki Chiga 2003.


お店より
 
今回のムートンは、93年ビンテージが若干当店の在庫にございます。
(2003年5月現在)初めてサキさんに当店ストックのワインを紹介いただけてホッとしています。 
 

ご購入希望者はこちら

                      

作者 千賀 紗季(ちが さき) 

某都内有名大学大学院文学研究科(フランス文学専攻) 博士前期課程修了
現在、同大学大学院 博士後期課程在籍中

ワインライター葉山考太郎氏がCHムートンについての執筆をするときにフランス語文献の原書翻訳を担当したことから本格的にワインに出逢う。

以来、フランスワインをこよなく愛し(男性よりも?)、今日に至る。湘南地区在住。