
第7回 アルマン
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6ème tableau, |
先日、新宿にある損保ジャパン東郷青児美術館で行われた「ルノー・コレクション フランス現代美術展」を見てきました。ヨーロッパ最大の自動車メーカーであるフランスのルノー社は、1966年から85年までの20年間、「今日の美術」というテーマでコンテンポラリー・アートを積極的に収集し、また1967年には「芸術・産業研究所」を創設し、アーティスト達に自動車部品や制作場所を提供して技術指導を行ない、ルノーの技術者のノウハウと美術作家のアイデアを総合していくという独自のメセナ活動を行ってきました。
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ルノーカタログ
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ルノー・コレクションを構成しているのは、国際的にも著名な芸術家たち。今回の展覧会では、フランス現代美術の歩みを理解できるようにと13作家が選抜され、約140点もの作品が世界で初めて一堂に展示されました。その中には、ルノー社屋内に常設展示されているもので、一般には公開されていなかった作品も数多く含まれています。
企業と芸術界との豊かな交流の形、それはムートンのラベル制作にも重なるような気がして、興味と嬉しさに高鳴る胸を押さえながら美術館に向いました。事実、現代芸術の軌跡という点で、ルノー・コレクションとムートンコレクションには、同じ芸術家の名を多く見つけることができます。ミロ、マッタ、アレシンスキー、タピエスなどなど。1981年のムートンラベルを担当したアルマンも、ルノーとのコラボレーションで刺激的な制作を行っています。今回のコラムでは、ルノー・コレクションの作品をまじえながら、彼の作品について考えてみましょう。
☆ 格闘家・アルマン
1928年、ニースに生まれた彼の本名は、アルマン・ピエール・フェルナンデス(Armand
Pierre
Fernandez)。通称アルマン。小さい頃は悪ガキだったらしく、リセに入学して3ヶ月、素行不良のため追い出されてしまったようです。グラースやヴァンスでお灸をすえられた後、再びリセに戻っています。ニース美術学校を経て1946年にニースの国立装飾美術学校へ進みます。この頃に将来「ヌーヴォー・レアリスト」の盟友となるイヴ・クレイン(Yves
Klein)に出会います。その出会いは、なんとニース警察の柔道学校。
1950年に「グループ・トライアングル」を結成することになるクロード・パスカル(Claude
Pascal)を交え3人で、禅、占星術、仏教、神秘結社のばら十字団などに熱中します。1949年にニースを離れ、パリへ出てルーヴル附属美術学校に学びます。2年後にはこの学校をやめて、再びイヴ・クレインとマドリッドで合流するのですが、そこで彼らがしたのは、またしても驚くことなかれ、武士道会の学校で柔道を教えることでした。実は、アルマンは格闘家なのでした。
☆ ルノーとの出会い
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ルノー車のサイドパネルを重ねた作品
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1954年、廃品やがらくたを寄せ集め組み合わせたダダ的なコラージュ人形で有名なクルト・シュヴィッタースの作品に影響を受け、1955年より「スタンプ」シリーズ、1958年より「オブジェの痕跡」シリーズを制作します。1960年にはイヴ・クレインとピエール・レスタニー(Pierre Restany)との交流から「ヌーヴォー・レアリスト」のグループを創設。日常使用される物の「アッサンブラージュ(Assemblage=寄せ集め)」や廃物を箱に詰めたり、同種類の物質を並置し合成樹脂やコンクリートで固めた「アキュミュレーション(Accumulation=集積)」や「プラン(Plein=充満)」シリーズが知られています。また「怒り(Coleres)」シリーズは、文字通り物質を破壊するパフォーマンスとして有名で、特に楽器がその対象となっています。
1972年にアルマンはアメリカの市民権を獲得しますが、1967年にルノーとのコラボレーションを始めた頃には既に、アメリカに定住していました。彼の制作スタイルからもうかがえるように、アルマンは大量生産の工業資材や技術に強い関心を抱いていましたが、実はルノーとの共同活動を行う以前に、アメリカの自動車会社フォード(Ford)とパートナーを組もうとコンタクトを取っていました。しかしフォード側のためらいによって実現しませんでした。後に「工場は私の信仰の教会の一つでした」と彼自身が告白しているように、こうした経緯を経て実現したルノーとのパートナーシップは、アルマンにとって大きな喜びでした。
☆ 「芸術の質は本質的に量的である」
(La
qualité de l’art est essentiellement quantitative.)
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Rabbit(「うさぎ」)
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ヌーヴォー・レアリスト達の中でもアルマンは特に、工業製品に魅了された人物でした。大量生産アイテムの使用は、この傾向は20世紀美術におけるいわば正統的なテーマと言えるでしょう。Fontaine(泉)と名付けられた便器のオブジェが物議をかもしたマルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)からジェフ・コーンズ(Jeff Koons)にいたるまで。シュールレアリストから今日まで。
しかしアルマンは、盟友レスタニーが「オブジェの冒険」と表現したこの傾向の最初の代表者でもなく、最後の代表者でもありません。というのも、アルマンが強い関心を寄せていたのは、生産という工業様式であって、製品そのものについて語ることではないからです。廃品や物のかけら、屑、日用品などからオブジェを選び、彫刻のように提示するデュシャンの「レディ・メイド(Readymade)」が目指すのは、唯一の存在を付与する個別化。
それに対して、アルマンがアイテムを大容量で集めるのは、むしろ物としての個別性を、総体の中で溶解させるため。デュシャンの作品が、オブジェの洗礼であり、命名という行為を通じて新たな生命を付与するものであるならば、アルマンの集積は徹底的に個別性を剥奪する行為を通じて新たな生命を生み出すものなのです。
集積というスタイルは、大量生産様式を映すものといえるでしょう。大量生産様式において作り出される製品は、様々な部品の集積でしかなく、製品を構成している部品は無限に複製されていく中でそれ自身のアイデンティティーを失い、新たな部分を形作ります。アルマンの制作スタイルは、量が物の質を変化させるという哲学に貫かれており、大量生産様式を意識していないはずがありません。この点で言えば、マリリン・モンローやキャンベルの缶詰の写真をヴィヴィッドに彩色して画面に繰り返したアンディ・ウォーホール(Andy Warhol)も、そうした様式に対して鋭く反応したアーティストの一人です。ちなみにウォーホールは1975年のムートンラベルで、彼独特のスタイルを披露していますね。
ルノーはアルマンに、様々な素材を提供しました。新製品でさえ提供したのです。しかしアルマンは、それらを単なる素材の陳列として作品にすることは決してありません。自動車産業の内奥に潜り込んだ彼は、一つの車が出来上がる工程を見て、大きな発見をします。ギアボックス、バンパーといった車のパーツは、パーツとして一つに集められる前に、異なる工程を経ているという事。どんなパーツにも、工程の様々な段階において、思いがけない様相があるという事。これこそ、まさしく製品そのものではなく、生産という工業様式にアルマンが魅せられていたことの証です。この発見は彼の創作意欲を猛烈に奮い立たせました。ルノーとのコラボレーションは、数限りない工業製品、新製品を用いて仕事をするという可能性だけではなく、製品となる前の様々な工程、部品の段階から、素材を指示し、使用することができるという点において、無限の可能性を秘めていたのです。
アルマンは次のように語っています。「私は、これこれのギア、メカニカルパーツといったように、そのパーツあるがままの形としては使いませんでした。その内の興味をそそられる部分だけを選び、それを二つに割るように工場の従業員に頼んだりしました。工場内で組み合わされる前に、この部品がどのように作られ、どのように準備されたのかを見せてくれながら、彼らは本当に私の欲望を刺激したのです」(Renault and Art, p.63,翻訳は筆者)。アルマンのこの活動は、彼の空腹を満たすかのように、ぴったり一致しました。ルノーによって提供された部品、素材を用いて、100以上の「集積ルノーno・・・」を制作し、美術館や個人コレクションに所蔵されています。
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ルノー車のエンジン部品(シリンダーヘッド)を重ねた作品
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☆ 工業システムと人間
自動車産業という大量生産様式の象徴との自律的共同活動を通して見えてくるのは、生産システムのロジックと消費のサイクルを取り込んだアルマンの姿ではないでしょうか。それも、非常に人間的な姿のアルマンがそこにいるように私には思えるのです。徹底して規格化された物質を素材としているのに、と少し意外に思われるかもしれません。しかし、そこにこそ、逆説的に生命のある人間の姿が見えてくるのです。
アルマンは、「アキュミュレーション」のように複製、増殖という制作系列においては、卑近なマテリアルを使用します。新品、中古の別を問わず、大量生産されたものや、工芸品などです。一方「怒り」シリーズや「切断」シリーズなど、ムートンラベルのように破壊されるのは、価値のあるオブジェ:特に楽器(コントラバス、ハープ、ギター、ピアノ、サックス、メトロノームなど)です。
ムートンラベルはコバルトブルーの画面に、破裂するバイオリンで構成されています(オリジナルは32,5×65センチメートル。右下に署名あり)。やや性急な一般化を怖れずにいうならば、取るに足らない物を集積することによって新たな価値を付与しするプラス(文字通り加乗)の方向、その反対に、価値ある物質を破壊して再構成することによって新たな価値を見出すマイナス(減割)の方向。物質に課せられる行為と社会的価値の連関というレベルにおいて、社会やテクノロジーへの風刺・提言といった意味を見出すことも可能でしょう。行為者というレベルにおいて、これも一つの人間的な姿といえるかもしれません。
さらにアルマンが生物(例えば果実や花など)ではなく、画一的で硬直した物質を選択して、加工している点にも興味をそそられます。無機質な物質に反復や機械的な運動を積み重ねたり、その動きの強ばりとして破壊へ展開することで、無機質的な平板さを徹底的に強調する。もう一方で「もの言わぬはずの物質が、この提示状態によって、なにかを語り始めるのではないか」と迫ってくるような不気味な側面を作り出す。徹底した物質性の誇示と、物質のやや乱暴な擬人化、この二面性は見る者に妙な感覚を呼び起こすのではないでしょうか。この妙な感覚、それは物質の集積・破壊の裏に、人間の姿を見てしまうからのような気がします。当たり前ですが、感じ方は人それぞれでしょう。集積された部品を見て、社会における人間もこの部品の一つにすぎない、と感じる事もあるかもしれない。ばらばらに砕け散った物質を見て、自分の内奥の秘めた爆発を投影したりする事もあるかもしれない。あるいは反復される運動に安心感を覚える事だってあるかもしれない。もちろん、こうした場面から顔をそむけたくなる場合だってあるかもしれない…。
この感じ方の多様性が際立つのは、果物や花々などの人間と同じく生命のある物質ではなく、規格化された無機質的な物質においてなのです。アルマンは1969年に以下のように述べています。「ある意味で、ルノーのような生産システムを取り扱うことによって、常々の仕事で見取り図を描こうと躍起になっていたランドスケープの一種に私は身を置くことになったのです。そのシステムの一つの行き先は、生産−消費−破壊(production-consumption-destruction)です」(Renault and Art, p.60,翻訳は筆者)。
この言葉から、生産−消費−破壊というサイクルは、誕生−成長−死という形で、有限な存在である人間に内在されているものであるということを連想してはならないものでしょうか。つまりアルマンが探求していたものとは、結局のところ人間のサイクルであり、彼が常々関心を抱いていた生産という工業様式は、その変奏の一種なのではないか、と。アルマンの制作は、製品そのものについて語ることではなく、徹底的に個別性を剥奪する行為を通じて新たな生命を生み出すことであると先に述べましたが、この没個性化こそ、見る者の受容の幅を無限に広げるものとなるのです。
物質をこれこれの形で集積・破壊する、と働きかけるアルマンの行為者としての人間の姿。束縛を受けずに意味を見出す可能性が与えられた人間の姿。徹底的に非人間性を貫くかに見える彼の制作哲学、作品には、二重の、いや多重の人間性が秘められているように思えるのです。
☆ ワイン/ボトル/ラベル

ムートンラベルの破壊されたヴァイオリン。一見、ひんやりとした印象を与えるのはコバルトブルーが画面の全体を占めているからでしょうか。「怒り」シリーズと同列の破壊されたヴァイオリンというモチーフのせいでしょうか。しかし、いまや私達は、その無機質的な冷たい表層に惑わされることはありません。
これは破壊…?否。徹底したアルマンの対象選択が見せる無機的な表面は、その深層に有機的なサイクルを隠し持っていたではありませんか。ムートンラベルも同じこと。硬直した物質の冷たさ、破壊の衝撃が醸し出す不安を見る者に感じさせるラベルが掲げられたボトルの中には、自然の厳しい法則に従いながら人間の手によって醸造されたワインが納められているのです。これほど生命力にあふれた芳しい液体を包むラベルとして、アルマンの破壊されたヴァイオリンのモチーフほどに深いスケールをもったものがあったでしょうか。アルマンお得意の物質シリーズと、ワインという極めて有機的な液体のコラボレーション。この組み合わせは、「人間」を軸にしてバランスを保っているのです。
ルノー・グループの会長兼CEOのルイ・シュバイツァー氏は、ルノー・コレクションが単なる企業イメージの向上や芸術品への投機ではなく、「芸術界と産業界を近づけ、過去・現在において最も完成された、自動車に代表される大量生産から生みだされた製品の完璧性と人間の創造力とを近づける」ものであったと語っています。ムートンとのコラボレーションもまさにこの言葉の通りなのだと、実感します。とはいえ、6年前に初めてこのラベルを見た時、あまり好きになれなかったことを白状しなければなりません。4歳の頃からピアノを習っていたこともあり、自分の楽器を持ち、愛着を感じていた私は、壊されたヴァイオリンを見るのが忍びなかったのです。「ヴァイオリン」を壊すという物質の扱い方は、「何でもかんでもとにかく破壊、コレ、芸術の新しい姿!」みたいな軽薄さとしてしか私の目には映りませんでした。それは、「マルチな」という形容詞がもてはやされ、ボーダーレスなものが輝いていた80年代特有の「軽やかに境界を横断するかっこ良さ」と、それにつきものの、パフォーマンス的要素を前面に出しすぎていて、かえって「カッコ悪いし、古臭ーいやり方」。意味を成立させるための必要な囲い込み(意味を認知するための基準=知識)を何でも良いからとにかく破壊していい気になっているにすぎないのでは、と私は否定的に捉えたのです。
つまり、こうです。通常私達は「ヴァイオリン」を見て、「木が曲線に構成され、中心に金属製の弦が張られているもの」とは考えません。「ヴァイオリン」は「ヴァイオリン」として理解します。そしてこれが「楽器」であるということも即時に理解します。それは、私達が既に「ヴァイオリン」がどのような形態で、どのような働きをするものであるかということを認知し統合する「知識」を持っているからです。こうした見る視点を固定する認知様式の枠組みを窮屈な境界と考え、とにかくそこから飛び出るため、風穴を開けるために、「ヴァイオリン」を壊す…。この視点の転回は面白いけれど、こんなやり方は長続きするはずもないし、あまりにも安直ではないか、というのがいみじくも80年代の年号を伴ったこのラベルを初めて見た私の印象だったのです。意地悪な言い方をするなら、「伝統とか規則とか、そんなもんは取っ払って、とりあえず手当たり次第、何でもかんでもぶッ壊してみるんだよ。それが今の時代の気分なんだからさ」とでも言いたげな作品、と。
確かに、社会を挑発することが制作の重要な原動力の一つであることは否めません。しかしそれだけではなく、その裏には、人間への真摯な想いというものが隠れている事を、アルマンの制作哲学を知る内に、気付いたのです。さらに言い過ぎを恐れすに言えば、ルノーとのそれが、その性質上、わりと無機的な物質一辺倒であるのに対し、ムートンとの場合は、ボトルの中で成長し続ける有機的な液体・ワインと密着して一つの作品として成立しているという点で、一層感動的なのです。
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本文中の人名、事項については可能な限り、欧語表記および生没年を丸括弧に入れました。表記不備等には十分気をつけているつもりですが、間違いがありましたら、お知らせいただければ幸いです。
<参考文献>
この図書目録は網羅的なものではありません。本コラムに直接に関係するものに限られています。ご興味を持たれた方の図書案内としてご覧いただければ幸いです。尚、大学、短大等の図書館、研究室に所蔵が限られている文献もありますので、ご了承ください。
1. 基本検索
フランス文学史:饗庭孝男他、『フランス文学史』、白水社、1997年。
篠沢秀夫、『フランス文学案内』、朝日出版社、1996年。
美術辞典:Encyclopédie
de l’Art, La
Pochothèque, 2000.
『新潮世界美術辞典』、新潮社、1985年。
黒江光彦他監修、『西洋絵画作品名辞典』、三省堂、1994年。
人名辞典:Le Petit Robert
Dictionnaire universel des noms propres,
Dictionnaires le Robert, 1994.
『岩波西洋人名辞典 増補版』、岩波書店、1983年。
百科事典:Le Grand Robert de la langue française, dictionnaire alphabétique
et analogique de la langue française, ROBERT, Paul, deuxième
édition, Paris, Dictionnaire Le Robert, 1985, 9 vols.
2.
本コラムの関連書籍
Mouton Rothschild L’Art et l’Étiquette, Baron Philippe de Rothschild SA, 1995.
AnnHindry, Renault and Art, A Modern Adventure, Hazan, 1999.
『ルノー・コレクション:フランス現代美術展』
損保ジャパン東郷青児美術館、2003年
ニース現代美術館インターネットサイト内アルマンのページ:
ルノーとのコラボレーション作品も見ることができます(フランス語)。
http://www.mamac-nice.org/francais/exposition_tempo/musee/arman/
3.
ワイン関連書籍
Précis des vins de Bordeaux, Conseil interprofessionnel du vin de
Bordeaux, 2ème edition, 1997.
アラン・セジュール/ベアトリス・ド・ラフォリ、『フランスワイン教本』、名越康子監訳、二期出版、1994年。
クリストファー・フォークス、『ラルース ワイン通のABC』、吉田利子/葉山孝太郎訳、日経BP社、1998年。
©Saki Chiga 2003.
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作者 千賀 紗季(ちが さき) 某都内有名大学大学院文学研究科(フランス文学専攻) 博士前期課程修了 ワインライター葉山考太郎氏がCHムートンについての執筆をするときにフランス語文献の原書翻訳を担当したことから本格的にワインに出逢う。 以来、フランスワインをこよなく愛し(男性よりも?)、今日に至る。湘南地区在住。 |