ワインは語りかける

第12回 コルク栓は呼吸しているのか?

 ソノマの『マボロシ・ワイン・エステート』私市友宏の探求

maboroshi

Maboroshi Estate 

 

 

 

一昔前まで、まことしやかに迷信として話されていたウンチク話の代表格に、「ワインのコルク栓は空気を通していて、常に外気を呼吸している。」というものがありました。今ではこの説は否定され「コルク栓は、ワインを完全に外気から遮断して、酸化を防ぐ役割を果たしている。コルクが空気を遮断しているお陰で、ワインは長期熟成が可能になった。」というのが常識とされています。

 

専門家の立場から、このミステリアスな話題に再び問題提起をしたのが、日本人の私市友宏(きさいちともひろ)さん。カリフォルニアで醸造コンサルタントとして、様々なワイナリーにワイン造りを指導しつつ、自らもソノマ地区でその名も「マボロシ・ヴィンヤード」という自社畑を持つ、ブティック・ワイナリーを運営しています。「マボロシ・ワイン」では1999年以来、極上のプレミアム・ワインを造っています。先月私市さんが帰国し、専門家を囲んでテイスティング・セミナーを開催した時のテーマがこのコルクと酸素に関するとても興味深いお話しでした。

 

コルクを打栓する瓶詰め前の作業である発酵と樽熟成の過程では、いかに酸素を上手にコントロールすることが、赤ワインの味わいに重要であるかが、既に最近の研究と実証によって、わかっています。ワインに一度に大量の酸素を与えてしまうと、酸化したり、バクテリアなどの微生物汚染などでワインは劣化してしまいます。ところが、発酵・熟成過程で微量の酸素を適度に与え続けるとワインは、味わいが円やかに変化していきます。樽熟成中の酸素コントロールが、醸造上のとても大切なテクニックとなっているのです。

そこで私市さんは、瓶詰め後のワインが熟成するのも、コルクを通過した微量の酸素が何らかの作用をしているのではないかと考え、コルク栓の酸素透過量を調べました。通常の酸素測定計では、0。コルクは酸素を通さない、となります。それでは納得いかないので、より精度の高い酸素測定計を有するスペインのコルク研究所に依頼しました。すると最高級のナチュラル・コルクで0.002cc/日酸素を通すことが分かりました。低品質のコルクは質にムラがあり、酸素透過量もまちまちです。ゆえに瓶内熟成には向きません。品質が一定している最高級コルクが、瓶内熟成を目的とした高級ワインにもっともふさわしいという、当然ながらの仮説に至ったそうです。その他にも、自分の畑に植えられたピノ・ノワールのクローンのお話しや、通常の有機栽培を超えたビヨンド・オーガニックと呼ばれる新しい栽培方法など、いかにも学問的で、伝統継承的なヨーロッパ流ではない、理路整然とした解説が印象的でした。

 

tom and rebecca

大阪出身の私市さんは実家が酒販店で、お店に並ぶワインに接しているうちにワインを造ることに目覚めてしまいました。1991年、最初に修行に行ったのは、フランスのブルゴーニュ。その中でも、代々ジュヴレイ・シャンベルタンのトップとして揺るぎない名門醸造一家である、アルマン・ルソーの門を叩きました。ブルゴーニュでのワイン造りの経験は、私市氏にとって貴重ではありましたが、かなり厳しいものだったそうです。理論よりも伝統的慣習が先行する過酷な労働と、約20年前の、今よりも閉鎖的なフランス田舎社会での生活は、日本人である私市さんとアメリカ人であるレベッカ夫人にとって安住の地とはならず、1年間の修行の後、新天地を奥さんの故郷でもあるアメリカに求めることになりました。

1992年、カリフォルニアの銘醸地ソノマのワイナリーで働き始めると、アメリカにおけるワイン醸造学研究の最高権威である、カリフォルニア大学デイヴィス校でワイン醸造学、マイクロ・バイオロジーをレベッカ夫人と共に学んだのでした。その後は、ワイナリーでのラボ・マネージャー、醸造責任者、醸造コンサルタントなど着実にキャリアアップを果たし、1999年ビンテージから自らのワインである『マボロシ・ワイン・エステート』を立ち上げ、生産を開始するに至ったのでした。この「マボロシ=幻」というネーミングは、1991年にフランスに旅立つ時、「そんな幻みたいなモノを追いかけてどういう気だ?」と知人に言われたことがきっかけでした。

 

意欲的な彼らの挑戦はとどまることなく、ソノマ・コーストのヒル・サイドに念願のピノ・ノワール畑を購入し、2004年から『マボロシ・ピノ・ノワール』の生産を開始しました。カリフォルニアのブティック・ワイナリーでは、レアな高級品を造っていても、栽培農家からブドウを買って醸造瓶詰めするのが一般的なので、直接畑を持って栽培からするのは、かなり真剣度の高い本格的な姿勢といえます。更に翌2005年からは、セカンド・ラベルとして奥さんの名前を冠した「レベッカ・K ピノ・ノワール」が生まれました。ファースト・ラベルの「マボロシ・ピノ・ノワール」がエレガントさを基調としながらも、スパイシーな要素を感じさせる男性的な味わいなのに対して、「レベッカ・K ピノ・ノワール」は、円やかな優しい果実感が主体の女性的なキャラクターがはっきりと感じられます。

 

私市さんと接していて感じられるのは、情熱的なワイン生産者であると共に、冷静なワイン醸造学者である姿です。彼のワインに関する話は、熱心でありながら常に明晰な理論が基礎になっていて、畑の組成や果実のクローンから、出来上がるワインの色合い、香り・味わいに至るまで全てが整然と説明されます。

出来上がるワインにはとても整然とした構築感があり、細部に至るまでしっかりと考えられているようです。折り目正しいテーラー・メイドのスーツのように仕上がった、そんな秩序ある明晰な味わいを感じさせます。完熟度の高いカリフォルニアワインの中にあっても、日本人らしく重すぎないきめ細やかさが備わっています。彼らの造るワインは、どれも生産量が300ケースほど、とその名の通り幻のようにわずかな量でしかありません。

 

今回のコルクの話も、通常は当たり前のように使用している瓶詰めの一部品でしかないようなコルク栓にも理論に裏打ちされたこだわりを持ちたい、という私市さんの信念が感じられます。そして、彼がセミナーの途中でつぶやくように話したことも印象的でした。「今回のコルクの話も、仮説の段階で完全に立証されたわけではありません。実際の所ワインの栽培・醸造理論というのは科学的に実証されていないものが殆どです。でも、実証された理論だけで、毎年の生産ができるわけでもないし、実証されていないから様々な意見があり、ワイン造りは神秘的で面白いのだと思います・・・。」

 

 

 

『マボロシ・ワイン・エステート』公式Webサイトはこちらです

http://www.maboroshiwine.com/

 

 

 

                                         内池 直人